誰がための小夜曲


番外編
【新婚旅行:1】


「うっわー!オーシャンビュー!」
 ホテルの部屋から見える青い空、青い海、白い砂浜。それらは本当に美しくて、澪は新婚旅行にこの地を選んで良かったと心から思っていた。

 日本から飛行機で6時間ほど。澪と詩亜は新婚旅行で、日本人が最も多く訪れる海外リゾート地に来ていた。
「どうせ行くならヨーロッパとかアメリカにしようぜ。俺、そこには何度も行った事あるしさ」
 詩亜にはそう言われていたけれど澪は実はまだ海外旅行というものを経験した事がなく、はじめに行くんだったら絶対に日本語が通じる所がいいと、詩亜にわがままを言っていた。
 はじめてのパスポート。はじめての飛行機。はじめての海外。それらすべてが澪にはとても新鮮で、なんだか自分が少し大人になったような気がしていた――もう27歳なのにね。

「って、どうしてもうベッドで横になっているのよー!」
 ホテルの部屋に着くと、部屋の豪華さや外の景色、置いてあるアメニティなどすべてに感動している澪とは正反対に、詩亜はぐったりとしながらすぐにベッドルームに向かって綺麗にベッドメイクされたベッドに横になった。だから澪は頬を膨らませながら詩亜が横になるベッドに近づき、キングサイズのフカフカのベッドに腰掛ける。すると体がすごく沈んだ為、澪はさすが高級ホテルだな、と思っていた。
「ごめ。ちょっと寝かせて。もう俺もたない」
 連日の仕事の疲れ。結婚式、披露宴での疲れ。それなのに、昨日の夜は寝ないで……。
 だから澪は小さく溜息を付く。
「……もう、しょうがないなぁ。分かった。どれくらい寝る?」
 飛行機の中で寝ればいいものの、どうやら詩亜は仕事関係の書類をずっと読んでいたようだった。もっとも、澪はすぐに寝てしまった為、詩亜がどのくらい起きていたのかは分かっていないけれど。
 詩亜は枕に顔を埋めていた為、篭った声が澪に届く。
「2,3時間。それですっきりするはず。適当に起こして」
「りょーかい。じゃあ私はホテル探検でもしてこようかな」
 もう詩亜は眠りの世界の一歩手前にいるだろうと、独り言のように澪は呟いた。そしてベッドから立ち上がり、んーっと上に伸びをする。すると急に澪は腕を捕まれ後ろに引っ張られ、そのままベッドに倒れこんだ。
「え?」
 それをしたのはもちろん詩亜で、澪は後ろから詩亜に抱きしめられていた。
「詩亜?」
 澪は抱きしめられたまま、顔を後ろに向ける。すると詩亜の顔が目に入ってきた。明らかに疲れているような彼の表情。でも。
「……したい」
 このエロ旦那め。
 詩亜は最上級に疲れているというのに、澪を後ろから抱きしめながら、その手で彼女の薄手の半袖の中に手を突っ込む。だから澪はそれを手で制した。
「だーめ、ここで詩亜が休んでくれないと、私はこの後の楽しいひとときを一人で過ごさないといけなくなっちゃうもの」
 時計は2時を回った所。今日の午後はもう一人で過ごそうと決めていたけれど、ディナーまで一人で食べるなんて澪には絶対嫌だった。
 だから澪は彼に触られてちょっと疼いた体を抑えてつつ、詩亜をベッドに寝かせる。
「おやすみ、詩亜」
 そう呟きながら澪は詩亜の唇にチュっとキスをした。
「……ホテルの中で迷子になるなよ」
「はーい」
 そして澪はベッドルームから出て行き、しばらくは部屋の窓から美しい景色を眺めていた。

「しっかし、すごいホテルだなぁ……」
 澪は手にホテルの案内図が載ったパンフレットを持って、一人でホテル内をウロウロとしていた。
 海に面したこの高級リゾートホテルは、ホテルの敷地内に2つのプールやたくさんの飲食店、ブティック・ショップなどがあるというまるでショッピングモールのような豪華なホテルだった。すれ違う宿泊客からは思ってた以上に日本語が聞こえてきて、澪はここは本当は日本じゃないの?と思ってしまうほどだった。
「やっぱりここを選んで良かったなぁ。もし日本語が全然通じない所だったら、こうやって自由に動き回れないもの」
 詩亜は日本語以外の言葉を自由自在に話すことが出来たけれど、澪はまったく駄目だった。彼女は昔から英語は本当に苦手。身振り手振りでどうにかすれば伝わるかもしれないけれど、今の彼女にはそれをする勇気は持っていなかった。はじめてというのは本当に怖いもので。
「言葉が通じるってすばらしい事ね。それなのになんであんなにたくさん言語があるのかしら」
 なんて当たり前のような事をブツブツと呟きながら、澪はホテルをゆっくりと見て回っていた。
 だから詩亜が睡眠を取りたいと言っていた時間、二時間はすぐに過ぎていった。澪は詩亜と二人で行きたい場所をチェックし終えて、部屋へと戻っていく。
(新しくかった水着、詩亜は気に入ってくれるかなぁ)
 結婚式前に美雪と一緒に買いに行った新しい水着。白地に黒のラインが入った水着は、今年の流行だとお店の人は言っていた。
(でも、ちょっと大胆だったかな……。まあ、誰に見られるわけでもないし、まあいっか)
 水着なんて何年ぶりに買っただろう、澪は買った水着を思い出しながらそう思っていた。それに海やプールに最後に行ったのがいつだったかも思い出せない。詩亜と出会う前に行ったような気がするけど……。
「ん?あれ?そういえば……」
 澪はホテルの部屋の扉の前に立ち、ある事を思い出した。
「私、鍵持って出なかったかも……」
 今のホテルはほとんどそうかもしれないけれど、鍵は自分で閉めるものではなく、カード型のキーが一般的。扉を閉めると勝手に鍵が掛かり、カードを挿せば扉が開く。このホテルの扉もそんなオートロック仕様だった。だからカードキーを持って出なかった澪は、ここから先、部屋に入る事は出来ない。
「あーあ、やっちゃった。ど、どうしよう」
 扉の前で立ちすくむ澪。何度か扉を叩いてみたけれど、部屋の中から反応はまったくなかった。きっと詩亜は熟睡しているのだろう。
 すぐにホテルの人に言えばどうにかなるかもしれないけれど、なんとなく言うのが恥かしい澪。だから澪はその場からゆっくりと遠ざかっていく。
(もしかしたら詩亜が起きてくれるかもしれない。もう少し待っていよう)
 まだディナーまでは時間はある。だから澪は詩亜が起きるのをもう少しだけ待ってみようと思っていた。



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