誰がための小夜曲
エピローグ その先の未来
【1−1】
長い長い土手を自転車で颯爽に走る。お気に入りの歌のフレーズを口ずさみながら。
もう季節は秋からすっかり冬になっていて、紫で光沢のあるダウンジャケットが活躍する時期になっていた。だから自転車で土手を走ると、耳が赤くなってジンジンとする。澪は、そろそろ耳当てが必要だなぁ、なんて自転車を走らせながらそう思っていた。
都会に比べるとゆっくりと時間が過ぎている澪の故郷。それでも駅前に行けば大型商業施設やら、はやりの店やらも徐々に建設されてきていて、澪が幼い時よりとても暮らしやすくなってきていた。とはいっても、澪が5年前まで住んでいた超都会である東京にはどう頑張っても勝てないだろう。それでも澪は今の生活をけっこう気に入っていた。
今日もそんな商業施設の中にあるファーストフードのバイトを終えて、家に帰る所だった。
「あれ?」
澪の家は土手を降りたすぐの所にあって、土手を走っていれば必ず目に入ってくる場所に位置していた。昔ながらの瓦屋根の平屋造り。でも、横に大きな家である為、平屋だとしても決して狭いわけではない。今はちょうど3時を回った所で、父親と弟は働きに出ているから家には母親だけがいるはず。そんな家の前に、知らない車が一台止まっていた。
「なんだろ?セールスかな?」
見たこともない真っ白なセダン。ハンドルが左の為、日本車ではないだろう。明らかにこの辺りでは不釣合いな車が自分の家の前に止まっていて、澪は首を傾げた。
(弟の知り合い?たしか車好きがいるって言っていたよね……)
それでもこんな高そうな車に乗っている人が自分の弟の知り合いだとは思えなかった。だから澪は自転車を引きながら、車の中を不思議そうに見つめていた。中は特に変わったものはなく、飲みかけのペットボトルや真新しそうな地図本が無造作に置かれていた。
「僕の車になにかありますか?」
澪が車を怪しげに見ているとそんな声が聞こえてきて、びっくりしてすぐに顔を上げた。
「ここまで東京から8時間。ずいぶんと長旅になってしまいましたよ」
澪の家の玄関の前に立っている人物。それは長身のスーツ姿の男性だった。黒の短髪が上にツンツンと上がっていて、シルバーの眼鏡の奥の鋭い目が澪を見ている。
「……なんの用ですか?」
澪は恐る恐るそう言った。すると目の前の男性は目を細くする。
「いや、この家の娘さんに会いに来たんですが、生憎留守みたいで。でも彼女のお母さんに色々お話は伺いました」
すごく丁寧な話し方。澪はこの話し方を知っている。社会を知っているバカ丁寧な話し方。自分を隠すような偽りの話し方。
でも違う。あなたはこんな話し方だったっけ?
「そう、ですか」
澪はそこで体が足元から震えているのに気が付いていた。その原因は、目の前に現れた男性のせい。それ以外考えられなかった。
「彼女とは5年ぶりなんですが、どうやらまだお一人のようですね」
5年。それは短いような長いような、そんな月日だった。待っていたわけじゃない。ただ、忘れられなかっただけ。
澪だって努力はした。あの時のことは全て忘れてやり直そうと。また新しい恋をすればいいじゃない。新しい男と一緒に過ごせばいいじゃない。出会いだってたくさんあった。それなのに、澪の頭の中から彼は出て行ってくれなかった。もう会えないと分かっていても、澪は彼を忘れる事は出来なかった。
「……誰のせいよ」
澪はボツリと呟いた。5年分の恨みを込めて。そして愛を込めて。
「僕の、いや、俺のせい、だよな」
男性は頭を軽く掻いた。そして口調が戻る。澪の知っている、大好きな、声に。
「そうよ。あなたのせいよ。……ばか。ほんとうにバカ」
澪が誰よりも会いたかった人物。もう一生会えないと思っていた人物。それが今、目の前にいる。
(これは夢?それとも幻?……でもあなたは目の前にいる。こうして私の目の前にいる)
この日をどんなに夢見たか。あなたには分かる?この日をどんなに待ち望んでいたか。あなたには分かる?
「澪、おいで」
そして詩亜が両手を広げて澪に笑顔を向ける。そこには大人になった詩亜がいた。相変わらず鼻筋の通った端整な顔立ち。髪型のせいか昔の派手さはなくなったけれど、それでも十分誰もが振り返るような美男子。
そんな詩亜が澪を迎えようとしている。だから澪の瞳に涙が貯まった。
「いいの?私はあなたの傍にいっていいの?」
あれからどうなったのか、澪はまったく知らない。だから、澪は詩亜に疑いの目を向ける。しかし詩亜は深く頷いた。
「いいよ。すべてはもう片付いたから。もう俺らに障害はないんだ。だから澪、おいで。俺のもとに。俺はお前を迎えに来たんだから」
信じる。私はあなたを信じる。
そして澪は頬を涙で濡らしながら詩亜の腕の中に飛び込んでいった。それと同時に、澪が支えていた自転車が勢いよく地面に倒れていった。
「神宮寺には何度も謝りにいった。もちろんそれで済まされると思ってはいなかったけれど、将来、俺が会社を作って、神宮寺に利益をもたらすと約束して許してもらったんだ」
澪と詩亜は、彼の車の中で今までの話をしていた。澪ははじめ、彼と並ぶ事にドキドキしてどうしたらいいかわからなかったけれど、彼から澪の手を取ってくれた。だから二人は手を繋ぎあっている。
温かな詩亜の温もり。澪は忘れたくなかったこの温もりに再び触れる事が出来て、心から感動していた。感謝していた。
「口では何とでも言える。でもそれじゃ説得力はないから、俺は高校卒業してから海外の大学に留学して、成績を収めてやっと納得してもらったんだ。まーー、大変な5年だったけどさ、なかなか楽しかったよ」
詩亜は澪と別れる時『自分の力でこの固い殻を破ってみせる』と言っていた。それを詩亜は見事に達成していたのだった。立派になった詩亜。その姿を澪は素直に嬉しく思う。
「紗夜子さんは、どうなったの……?」
それが今一番澪が気になること。その名前を出して詩亜が嫌な顔をしたらどうしよう、と思ったけれど、聞かないわけにはいかなかった。しかし詩亜はそんな顔はしなかった。
「彼女にも何度も何度も謝ったよ。それが原因か分からないが、彼女は今や神宮寺の次期後継者になっている。それにもう結婚して子供もいるしな。噂では夫を尻に敷いてるらしい。彼女は思った以上にしっかりした女性だよ」
それは澪にとって、紗夜子の意外な未来だった。でもたしかに彼女はしっかりしていて、なんにでも飛び込んでいけそうな、そんな感じがしていた。だから澪は納得する。
「あぁ、みんなすごいなぁ。私なんてずーっとバイトの日々だったよ。もうアラサーになっちゃったしさ」
気が付けば周りの友達はみんな結婚して子供もいる。東京で暮らしていた時はあまり感じなかったけれど、地方だと結婚や出産が少し早いみたいだった。そんな周りを見ながら少し肩身が狭い思いをしていて、お見合いや合コンの誘いはあったものの、澪はどれも断っていた。
でもそれ以外の事は出来るだけ頑張った。毎日をしっかり楽しむようになったし、仕事もすごく楽しかった。店長にでもなるんじゃないか、という噂も立てられたくらいだった。それもすべて、あの時の事があったから。
そんな事を考えて、澪は少し悪戯な顔をした。
「ねぇ、詩亜君」
「ん?」
詩亜は優しげに首を傾げる。
「私にすでに彼氏がいたらどうしてた?結婚してたらどうしてた?」
その問いに詩亜はんーっと少し考えてから。
「奪ってたかな。結婚してたらちょっとめんどくさいけど、彼氏だったら簡単に奪う自信あるし」
そう言って詩亜は昔のようにニシシと笑った。この自信過剰め。澪はそう思っていたけれど、詩亜の言葉は想像以上に嬉しかった。
そして詩亜は少し真面目な顔を作る。だから澪も同じように真面目な顔をになった。
「でも澪は待っててくれる。なんかそう思っていたんだ。だから5年もたってるのに迎えに行こうと思ったんだよ」
二人は自然と顔を近づけあう。
「だって俺を忘れるなんて無理だろ?お前は俺を知ってしまったんだから」
そして詩亜の唇が澪の唇と重なる。
(そうよ。忘れられるわけない。こんな素敵な人、この世の中を探しても見つかるわけなんかない)
出会ってから愛し合った短い時間。そして空白の長い時間。二人はそれを経て、ようやく結ばれる。今まで生きてきた長い時間の中で、二人の時間というのはとても短い。でもそれは関係なかった。時間なんて少しも関係ない。お互いが愛し合っているのなら。
そして二人はようやく結ばれる。誰にも恨まれない。誰も悲しまない。誰もが祝福する繋がりへと。
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