誰がための小夜曲


第4部 揺れ動く想い
【1−2】


 携帯が鳴っている。何度も何度も。それはきっと詩亜の携帯もそうなんだろう。でも澪も詩亜も携帯を一切無視していた。出たくなかったから。あなたと一緒にいたかったから。
「ほらな、全然怖くなかっただろ?やっぱジェットコースターって気持ちいいよなぁ」
「えぇ!怖かったよー。なんであれが気持ちいいって思えるのかさっぱり分かんない」
「分かってないなー。まあ、いっか。じゃー、次は何を乗るかなー」
 詩亜は自然と澪の手を握る。澪も離れると彼の手を捜すようになっていた。こうして繋がっている事ですごく安心出来る。
「お前、お化けって嫌い?」
「へ?嫌いに決まってるじゃん」
「じゃー、お化け屋敷にけってーい!」
「ええええ!」
 そして次に乗るアトラクションが決定する。それは乗り物に乗っていくお化け屋敷だった。洋風なお化け屋敷なので、日本特有の恐ろしさはなかったけれど、それでも暗闇は人の心に少し恐怖を生みつける。
 他のアトラクションより並んでいる人が少ないのか、澪と詩亜は三十分ほど並んだだけで、アトラクションの乗り物である二人用の大きなソファーのようなものに乗り込んだ。
「お化け屋敷は自分で歩くのがいいのにな。こうやって乗り物に乗るとなんか見せられている感があって少しも怖くないよ」
「そ、そうかなぁ」
 たしかにどこかにある病院型お化け屋敷より全然怖くはないかもしれないけれど、澪はそれでも生首や勝手に弾きだすピアノ、空を飛ぶ透明な幽霊達を見るのはあまり好きではなかった。
「もしかして、怖い?」
「こ、怖くないよ。大丈夫」
 目をつぶっていればじきに終わる。だから体が震えるほど怖くはなかった。でも絶対に怖くない!というほどでもない。やっぱり暗闇は好きになれなかった。
「無理はしなくていいのに。大丈夫だよ。俺が隣にいるから」
「う、うん……」
 そう言って詩亜は澪の手をギュッと強く握ってくれた。それが澪には嬉しかった。
「澪」
「ん?」
 アトラクションにはたくさんのお客がいる。でも今乗っている乗り物は恐怖を感じさせる為に上手く作ってあるのか、周りの人からは自分達の姿は見えにくかった。だからある意味密室というか、そんな感じだった。
「キスしていい?」
「え?」
 それは突然の詩亜の言葉だった。だから澪は戸惑う。
「な、何を言ってるのよ、詩亜君。こんな所で」
「だって澪が可愛いんだよ。ジェットコースターに怖がる澪も、こんな子供だましに怖がる澪も、全部可愛い。だからキスしたいんだ」
 詩亜の顔は今や澪の目の前にあって、ほんの少し顔を近づければ彼と接触出来るくらいだった。澪は顔が赤くなるのを感じていた。だから顔を詩亜から逸らそうとする。すると詩亜が澪の顔に手を添えて自分の目の前まで持ってきていた。
 そして詩亜の唇が澪の唇を塞ぐ。温かな詩亜の体温が澪に伝わった。
 詩亜とのキスはこれで二回目。前回は何が何だか分からないキスだったけれど、今回はしっかりと彼を感じる事が出来る。でも彼は澪のものではない。彼には……。
「こうしてずっと二人でいれればいいのにな」
 詩亜は澪から唇を離してそう呟いた。その言葉に澪の心はキュっと痛くなる。だって私もそう思っているから。澪はそう思わずにはいられなかった。
 そして再び唇が重なる。
 嬉しかった。詩亜をこうして感じられる事が。だから詩亜が澪の首元に手を回してきても澪はそのまま受け入れる。
 もしかしたら誰かに見られているかもしれない。あちらこちらにある監視カメラに映っているかもしれない。でもそんな事関係なかった。どうでも良かった。澪は今を感じていたかったから。
 アトラクションの時間はたった十五分。その間中、澪と詩亜は唇を重ねあっていた。どちらが先に入れてきたのかは分からないけれど、二人の舌がゆっくりと絡み合う。それは優しくて愛のある、まるで体が絡み合うかのような愛撫のようなキスだった。
 このまま離れたくない。ずっとこうしていたい。しかし、幸せなおとぎ話はそう長くは続かなかった。アトラクションは終わりを迎えるのだから。
「澪」
 囁くような詩亜の優しい声。それが澪はとても好きだった。
「好きだよ」
 その言葉は本当に脆いものなのに、このまま永遠に続けばいいな、と澪は深く、深く思っていた。

 * * *

 詩亜には分かってた。彼女にこうしてキスしてしまう事は本当はいけない事だと。でも澪が人の言葉にビクビクするのを見ると、詩亜は彼女を守りたくてしょうがなくなった。アトラクションに怖がる彼女を見ると、彼女を愛しく思ってしまった。
(俺には澪に触れる資格なんてないのに。でもなんでこんなに欲しくなってしまうんだろう)
 女なんてただ男を利用するものなんだとずっと思っていた。だから詩亜は今まで人を好きになった事なんてない。それは今までそういう境遇だったからだ、と言われるとそれまでだけど、詩亜は澪に出会ってしまった。兄の恋人だったとしても、彼女に出会ってしまった。
「澪、今日はこれで帰れ。二人には俺から説明するから」
「え?」
 いつの間にか夜の帳が下りて、辺りは暗くなっていた。だからあちらこちらにあるイルミネーションがいくつも輝き、幻想的な雰囲気を作り出している。しかし、詩亜はイルミネーションに見とれているであろう澪にそう告げた。もちろん澪は目を丸くする。
「私も一緒に戻るよ。私の口からも説明しないといけないだろうし」
 何て説明するんだよ、詩亜は心の中でそう思っていたけれど、それは口にしなかった。そして澪を軽く抱きしめる。二人がいる場所は細い通路で暗がりの為、あまり人がいない。それにいたとしてもあまり周りに気にしないような場所だった。
「駄目だ。お前は帰れよ。一人で家まで帰れるだろ?」
「帰れるに決まってるじゃない。私は子供じゃないんだし」
 澪が顔をほんのり赤くしている。こうやって彼女を怒らせる事も、詩亜は澪が可愛くてしょうがなかった。いつの間に俺はこんなこと思うようになったんだろう、詩亜はそれが不思議でしょうがなかった。でも澪と一緒にいると、人形から人間になったような気がして楽しくなる。
「後は俺に任せろ。お願いだからお前は帰ってくれ」
「なんで?なんで私も行っちゃ駄目なの?」
 これを俺に言わせたいのか?詩亜はそう思っていたけど、澪の耳元に顔を近づけ、できるだけ優しく囁いた。
「これ以上、兄貴にお前を触れさせたくないからだ。俺はお前が兄貴と手を繋いでいる所なんて二度と見たくない」
 詩亜は自分は冷静な人間だと思っている。目の前で何が起ころうと動揺せずにいられると。しかし、武と澪が手を繋ぎ合っているのを見て、驚くほど胸が騒いでしまった。いてもたってもいられなかった。だからもうあんなものは見たくない。詩亜はそう思っていた。
 そして詩亜は澪の耳に軽くキスをする。すると澪の体がピクッと動いたのに気が付いた。あぁ、このままコイツをベッドに押し倒したい。詩亜はそう思ったけれど、こんな場所では何も出来なかった。
「……分かったか?出口まで送りたいが、そろそろあいつらの堪忍袋の尾も切れるだろう。俺はこのまま兄貴達に会いに行くよ」
 澪は少し心配そうな顔をしながらコクンと頷いていた。だから詩亜は澪の体をギュっと強く抱きしめて、彼女のおでこにキスをした。
「帰ったら連絡するから、それまで寝るなよ」
 そして澪が出口に向かっていくのを見送りながら、詩亜はこの心の中の嵐をどうしてくれようか、そう思っていた。

 分かっている。詩亜は自分がどんな境遇に立たされているのかは。自分は紗夜子と結ばれて神宮寺の家に入らなければならない。紗夜子がどんなに自分を好いているのかさえも分かっていた。それを断れば、御堂グループにとってどんなに損失になるのかさえも。
(それでも俺は諦めたくないんだよ。俺はあいつが好きだ。それだけは譲れないんだよ)
 そして詩亜は携帯を取り出して兄である武の番号に電話をかけた。



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