誰がための小夜曲


第4部 揺れ動く想い
【1−1】


 澪は日曜の九時という早い時間に舞浜駅の前でこれから来るであろう待ち人達を待っていた。それは数日前に武から『日曜日にディズニーランドに行きませんか?』というメールを貰ったからだった。
 さすが日曜というだけあって、駅の前はテーマパーク目当ての人で溢れかえっていた。しかし何年か前に駅自体がテーマパークと同じような雰囲気に作りかえられた為、どんなに人がいてもこの場にいるのはワクワクする。まるでもうおとぎ話の中に入ってしまったかのような気分になる。だから澪は周りをキョロキョロしながら武達を待っていた。
「澪さん、お待たせしました」
 澪が団体客に目を奪われていると、そんな声が聞こえてきた。だから澪は声のするほうに顔を向ける。するとそこには武が立っていた。
 武は今日はいつものようなスーツ姿ではなく、黒のズボンに派手ではないけど柄もののシャツ、それに黒のジャケットという格好をしていた。それがスーツばかりの武に恐ろしく似合っていて澪は何故か照れる。
 そしてその後ろから詩亜と紗夜子もやってくる。詩亜も武と同じくジャケット姿だったけれど、それにGパンを合わせていて、その上細い黒のネクタイがとても似合っていた。そして変装なのか、帽子を深くかぶって眼鏡をはめていた。紗夜子は真っ白でフワフワなコートに身を包んでいた為、中に何を着ているか分からなかったけれど、先の尖ったヒールの高いブーツがとても可愛かった。
(もう少し可愛い格好してくればよかったかな)
 そんな彼らを見て、澪は自分の姿を見直す。今日はテーマパークに行くというので、あまり動きずらいのは駄目かな、と思って短めのダッフルコートに細めのGパン。それにブーツをインした格好をしている。たぶん誰から見ても無難な格好かな、と思っていたけれど、武や詩亜、紗夜子の素敵な格好を見て、自分の姿が恥かしくなってきたのだった。
「さ、行きましょう。それにしてもすごい人ですね」
 そして澪達はテーマパークに向けて歩き出す。きっとこれは自然とそうなったんだと思うけれど、詩亜は紗夜子と、澪は武と並んで歩いていた。詩亜達は澪達の前を歩いている。その様子を武の話を聞きながら見ていると、詩亜達とすれ違った人たちが必ず振り返る事に澪は気が付いた。
(みて、あれってシアじゃない?)
(えー、どうだろう。でもすんごいカッコいい人だったね。隣にいる女の人もすごい綺麗!)
 そんな声まで聞こえてくる。その様子を見て、澪はさすがだな、って思っていた。確かに彼らはどこにいても絵になる。だから澪は武にチラッと視線を向けた。
(武さんだって、綺麗な人と並ぶ方が本当はいいんだろうな)
 それが私なんかと、と澪は少し気分が沈んできていた。それでも駅からテーマパークに向かうまでの道にはテーマパークにちなんだ飾りやお店などが並んでいる為、やっぱりワクワクしてくる。だから澪は容姿の事は今日は気にしないでおこうと思っていた。
「うわぁ。やっぱり人がすごいねぇ。日曜だからしょうがないか」
 開園は十時の為、今はまだ入り口で人々が並んでいる。その数といったらびっくりするほど多かった。まるで人の波のように視界すべてに人がいる。だから紗夜子は目を丸くして驚いていた。
「だから日曜はやめようっていったじゃん。なんで人が多い場所に人が多い時に来ようと思うんだよ」
 詩亜が悪態をついたので、武は小さく溜息を付いた。
「詩亜、僕と澪さんはあなたたちのようにいつでも休めるわけじゃないんですよ。ねぇ、澪さん」
「え?あ、そうですね」
 確かにその通りで、有給を取ればいいかもしれないけれど、年末に快く休ませてくれるとは思えなかった。だから澪は武の言葉に軽く頷くと、詩亜がフンっと鼻を鳴らして視線をテーマパークの入り口の方に向けていた。。それを見て紗夜子が笑う。
「まーまー。私は一度日本のディズニーランドに来て見たかっただけだし、人のあまりいない所を周ればいいんだよ。それならいいんでしょ?」
 お嬢様である紗夜子が日本を代表するこのテーマパークに来たことがないというのに澪はとても驚いたけれど、口ぶりからするときっと他の場所のは何度も行った事があるんだろう。やっぱりお金持ちの人って自由だな、と澪は思っていた。
 そして開園の十時が回る。すると入場を待っていたお客達がどんどんと園内に入っていく。だから澪達も列に並び、園内へと入っていった。まるで日本という場所から夢の世界に入っていくような気持ち。あれ?入場券はどうするんだろ?と澪は思っていたけれど、入園口近くで武から入場券であるパスポート――これがあればテーマパークのアトラクション全てに乗る事が出来る――を渡されて少し驚いた。どうやら事前に買っていたようだった。
 澪はこのテーマパークに何度かデートで来ていたけれど、来るたびに胸のドキドキは起こってしまう。それがこのテーマパークのすごい所なんだろう。いくつになっても楽しい場所はやはり楽しい。
「この人の多さ、気を抜くとすぐに迷子になっちゃいそうだね。ねぇ、しーちゃん、手を握ってもいい?」
 紗夜子はそう言って詩亜の返事を待たずに手を掴む。澪はその様子を後ろから見ていたけど、詩亜の表情は特に変わらないことが気になった。もしかしたら断るかな、なんて淡い期待をしていたからもしれない。だから澪は少しだけ落ち込む。
「澪さん?」
 そんな澪に武は話しかけてくる。
「僕達もどうですか?」
「え?」
 何がどうなの?と澪は思っていたけれど、すぐにその言葉の理由に気が付いた。なぜなら武が澪に手を差し伸べていたから。
「澪さんがはぐれてしまったら大変ですからね」
 いつもの武の笑顔。それは本当に魔法のようで、澪は照れながら彼の手を握るしか出来なかった。自然と、強制的に。
(うわぁ、私、武さんと……)
 この信じられないような奇跡に澪の体温はどんどん上がっていった。しかしそれを表に出してはいけないと、澪は武と手を繋ぎあいながら他愛のない話をはじめ、ゆっくりと園内を進んでいった。

 相変わらず澪達は2つのカップルで別れて歩いている。それなら紗夜子は詩亜と二人で来れば良かったじゃない、と澪は思っていたけれど、きっと紗夜子の事だろう、純粋にみんなで来たかったに違いない。だって詩亜は紗夜子の将来の相手であって、この先この場所に二人で来る事くらい容易なのだから。
「どこのアトラクションもすごい待ち時間ですね。さすがだなぁ」
 澪は転々あとあるアトラクションの横を通りながらそう呟いた。それに武も頷く。
「そうですね。すごいとは聞いていたのですがここまでとは」
「え?もしかして武さん、ここにくるのは初めてですか?」
 澪が驚いていると、武は恥かしそうな顔をする。
「お恥ずかしながらそうなんですよ。こういう場所は今まで来る機会がなくて」
「ご両親に連れて行ってもらった事も?」
「はい。僕達が小さい頃は両親はとても忙しかったので。それに僕はずっと勉強ばかりしていたので、こういう娯楽施設はあまり興味がなかったんですよ」
「そうなんですか……」
 なんてつまらない子供時代を送ってたんだろう。澪はそう思っていた。私なんてずっと遊んでばっかりいたのに、と。でもきっとしょうがない事なんだろうとも思っていた。やっぱり彼らは自分と住む世界が違うのだから。
「しーちゃん。私お土産ほしいな。パパとママにも色々買ってくるって約束したし」
「は?もう土産だと?まだ来たばっかりじゃんか。何か乗ったりしないのかよ」
 そんな会話が前のほうから聞こえてくる。澪はいつもだったらまずは一番人気のアトラクションに走っていくところだったけれど、今日はさすがにそういう事は出来なくて、おとなしく紗夜子や詩亜についていっている。まずはどれに乗るのかなーなんて思っていたけれど、紗夜子はどのアトラクションも見向きもしていないようだった。
「んー、どれも人がいっぱいだからなー。私はいっぱいお買い物が出来てパレードさえ見れればいいんだけど、それじゃ駄目?」
 自由だな、澪は紗夜子の言葉を聞いて思っていた。詩亜はそれに呆れた顔をしていたけれど、武は特に表情を変えずにいつもの穏やかな武だった。
「はー。なんだよ、それ。……じゃー、とりあえずお茶でもしないか?体にあったかいもん入れたいよ」
 今日は天気が良かったけれど、さすが12月。少し厚手のコートを羽織ってもやっぱり寒かった。
「あ、それはいい案ね!せっかくだから飛び切りメルヘンな場所でお茶したいなー!」
 紗夜子はそう言いながら目を輝かせる。
「はいはい。じゃあお嬢様、どのお店がよろしいですか?」
「えー!ちょっと待ってね。たしかさっき地図もらったはず……」
 紗夜子はブランドのバッグの中をガサゴソと探し始めていた。
 そんな楽しい掛け合い。紗夜子は本当に楽しそうで、澪はそれにとても羨ましく思ってしまう。なぜなら澪もこんな素敵な場所で楽しく笑いたかったから。大きな声ではしゃぎたかったから。それが本来の自分なのに、澪の隣には上品で大人な武がいる。彼の前でそんな自分を出すわけにいかなかった。
「それでいいか?澪、兄貴」
「ああ、いいよ。澪さんもいいですか?」
「は、はい。お茶しましょ」
 そして紗夜子は園内の地図を広げ、その中でキャラクターの形がとても可愛らしいワッフルの店を選んでいた。詩亜はそれを聞いて呆れた顔をしていたけれど、紗夜子に連れられてそのお店に向かっていった。
「紗夜子さんって、本当に可愛らしいですね」
 そんな様子を見て澪が呟く。お世辞じゃなく、紗夜子は可愛い。こうしてみていると少し天然なのか、自然な可愛さが彼女からは出ていた。それを澪はとても羨ましく思う。
「そうですね。でも澪さんも可愛らしいですよ」
「へ?」
 いきなりの武の言葉。そして澪は武の方に顔を向けると、武はいつもの優しい笑顔を向けてくれていた。だから澪は顔を赤くしてすぐに顔を下に向ける。
(び、びっくりした。な、なんなのよぉ)
 そして武と澪も詩亜達の行く方向に向かって歩いていった。まだ二人の手は繋がれたままで。

 澪の手にはディズニーランドのパスポート。澪は今日何軒目かのカフェの椅子に座りながら、テーマパークのキャラクターが印刷されたパスポートを眺めていた。耳は紗夜子のアメリカでの話題に傾けながら。
 このパスポートは自分で買ったわけじゃなくて、武に渡されたものだったけれど、少なくとも今日はこのパスポートの本来の役目はまったくたっていない。だって一つもアトラクションに乗らずに、こうしてカフェでお茶をしたり、ショップでお土産を買ったり、ただ園内を話しながら歩いたり、そんな事しかしていなかったから。
(もったいないな。パスポートっていくらだっけ?)
 たしかけっこういい値段したんじゃなかったっけ。なんて澪は心の中で呟いていた。彼らの金銭感覚はよく分からない。だって紗夜子なんてお土産を大量に黒いカードで買っているし。店の商品全部買うの?って思えるほどレジに持って行った時は本当に驚いた。そのカードさえあれば、園内を貸切にだって出来るんじゃない?なんて澪は思っていたけれど、自分と比べちゃ駄目だよね、というのが今の澪の結論だった。気にし始めるとすべてが気になってしまう。
「澪、もしかしてアトラクションに乗りたいのか?」
「え?」
 パスポートを見ているのを気が付かれたのか、いきなり詩亜が澪に話しかけてきた。だから澪は急いでパスポートをポケットにしまう。
「えっと、そ、それは……」
 せっかく買ったんだし、もったいないから使おうよ、なんて事、このメンバーの中では言えなかった。きっとそんな事を言ったら変な目で見られてしまうと思っていたから。そんな澪を見て、詩亜は立ち上がる。
「よし、じゃあ、何か乗りに行こうぜ。俺もそろそろなんか乗りたかったしさ。兄貴と紗夜子はしばらくお茶でもしていてくれ。一通り乗ったら連絡するから」
「へ?」
 澪はいきなりの詩亜の申し出に呆然としていたけれど、詩亜は澪の手を掴み、そのまま澪を引っ張り歩き出してしまった。
「ちょ、ちょっと、詩亜君!」
 澪は詩亜の行動に驚いていたけど、詩亜が呟いた言葉は聞き逃さなかった。それは、他の人に聞かれてはいけないというような本当に小さなな声だった。
「いいから、お前は黙ってろ」
 だから澪はそれ以上は何も言えなかった。ただ詩亜に引っ張られていく事にドキドキとしているだけだった。
 そんな様子を武と紗夜子はただただ呆然と見ていた。まるで金縛りの呪文を掛けられたように、石になったように。

「はー、なんか解放された感じだな」
 詩亜は上に手を伸ばし軽く伸びをしながら園内をゆっくりと歩いていた。その後ろから澪も付いていく。紗夜子と武がいたカフェからどれくらい離れただろう。けっこうな距離を澪は詩亜に引っ張られて連れてこられていた。
「だ、大丈夫?こんなことして」
 いきなり四人の輪から外れた二人。それに澪が困惑するのは当たり前だった。これが紗夜子と詩亜だったら何の問題もないだろう。しかし、澪は詩亜と二人だけだった。だから一体何が起きているのさえあまり理解していない。
「大丈夫大丈夫だって。せっかくこんな所に来たのに楽しまないあいつらの方がおかしーんだよ」
「それは……そうだけど」
「まー、あんまり考え込むなよ。今日は楽しもうぜ」
 そして詩亜が澪の手を掴む。
「まずはな……、あれに乗ろうぜ!」
 詩亜は人気の宇宙型ジェットコースターを指す。だから澪は目を丸くする。
「ええ?私、ジェットコースター苦手なんだけど……」 
 そんな弱気になった澪を見て、詩亜が笑う。
「大丈夫だって。俺がついているからさ。さー、並ぼうぜ!こうしている時間がもったいない」
 子供のようにカラカラと笑う詩亜。本当に楽しそうで、その姿をなんだかすごくホッとして澪は見ていた。だから詩亜が引っ張る手を澪は抗わずに着いていったのだった。

 しゃべる。頷く。笑う。そしてまたしゃべる。澪は詩亜といるとそれが自然に出来る。それは武とは絶対に出来ない事だった。武といると常に緊張してしまって自由に話す事が出来ない。いくら憧れていても、彼には自分を見せる事は出来なかった。
(ねーねー、あの人かっこよくない?)
 澪がジェットコースターの順番を待っていると、後ろからそんな声が聞こえてきた。
(ほんとだ。背が高いし顔がちっちゃいしー。モデルかなんかなのかな?)
 その話題の先に詩亜がいる事は明らかだった。なんとなく気になって、詩亜のジェットコースター論に耳を傾けながら、そちらの会話も聞く。
(隣の人、彼女かな?)
(えー、それにしてはなんか平凡じゃない?ただの友達じゃないのー?)
 そうよ、私はただの友達ですよー。澪は声を聞きながらそう思っていた。自分でも詩亜と釣りあうなんて少しも思っていなかったから。
 しかし、そんな時、詩亜が澪の腰に手を回してきた。それに澪は驚いて詩亜に顔を向ける。すると詩亜は澪の方を見ずに、じっと前を見ていた。だから澪も詩亜から視線を前に戻す。
 そしてすぐに後ろからまた声が聞こえてくる。
(あ、やっぱり彼女だったじゃん。あんなに仲良さそうだし)
(ほんとだー。ちぇ、羨ましいなぁ。私もかっこいい彼氏ほしー!)
 澪の胸は破裂しそうなほどドキドキしていた。しかし、詩亜は自分の行動については特に答えをくれない。だから逆に澪が訊ねる。
「いいの?詩亜君には紗夜子さんが……」
 しかし、そう言ったと同時に、詩亜の手が澪の口を塞ぐ。そして詩亜の顔は澪の耳の傍に向かった。
「その名前は禁止。今はお前とこうしていたいんだから」
 そう耳元で囁かれる澪。その囁きは優しくて、一瞬で体が熱くなる。だから澪は軽く頷いた。
 だって私もこうしていたいんだもん。でもそれは言わないでおいた。言ったら駄目なような気がしていたから。
 詩亜は澪の喜ぶような事をしてくれる。こうして誰からも守ってくれる。彼の前だと自分を出す事が出来る。
 だから一緒にいたい。でも彼には……。そう思うと澪の胸は苦しくなる。でも今は彼と楽しみたかった。だから先の事は考えない。今こうしていることが幸せなのだから、澪はそう思っていた。



<< 前へ  戻る  次へ >>