誰がための小夜曲
第2部 不思議な同居生活
【6】
タクシーが辿り着いた先、それは人の通りが少ないビジネス街だった。今日は祝日の為か辺りはとてもひっそりとしている。だから澪は本当にこんな所でパーティが行われているの?と疑問を持ったけれど、詩亜はビルとビルの間にある地下へ続く階段へ向かっていったので、澪もそれに続いて階段を降りていった。
「う、うわぁ」
地下へ続く階段を降りて澪が目撃したもの、それは地上の静かな雰囲気とはまったく正反対の賑やかな空間だった。クラブハウスなのだろうかお酒の匂いがする大きな空間の奥のほうには小さなステージも見え、バンドの人たちがジャズ音楽を演奏をしていた。
(ここは何?て、天国?どこが簡単なパーティなのよ)
こんな会社が入ったビルが立ち並ぶ場所にクラブハウスがある事自体驚くのに、そのパーティの出席者達はさらに驚く人たちばかりだった。ほとんどがどこかで見たことのある人で、俳優に女優、歌手にモデルと、様々だった。今まで芸能人なんて生で見た事がない澪にとって、この場所は本当に天国のようだった。だからその場に立ち尽くす。
「おー、シアじゃん」
「おっす、エイジ」
クラブハウスに入ってすぐに詩亜に声を掛けてきたのは、前に澪の家に詩亜の荷物を届けてくれたモデルのエイジだった。前の時もワイルドな格好をしていたエイジだったけれど、今日の姿も全身黒で統一され、シルバーのアクセサリーで着飾った姿はさらにワイルドだった。
(あ、この人は……)
澪はまだこの場のすごさにフワフワとしていたけれど、エイジの登場に少し身をすくめる。それは彼にはあまりいい印象がないからで、無意識のような意識的のような澪の行動だった。しかし、そんな澪の手を詩亜がいきなり握ってきたので、澪は驚いて詩亜に顔を向けた。
「シアがこういう場に来るなんて珍しいな。どういう風の吹き回しだ?」
「俺だってたまにはな。編集長はもう来てるのか?」
詩亜は澪の視線に気がついていないかのようにエイジと話している。それにエイジも詩亜の隣の女性の事なんて少しも気にしていないようだった。
(詩亜君……)
澪はこの詩亜の行動がとても嬉しかった。きっと詩亜は澪の気持ちを察して手を繋いでくれたのだろう。それがとてもとても嬉しかった。
「ああ、向こうで飲んでいるぜ。さすがにあの人もこういう日はご機嫌だよ」
「そか。じゃちょっと挨拶してくるよ。またな、エイジ」
「おー、また現場でな」
詩亜との会話が終わったエイジは、また違う知り合いを見つけたようでその場からすぐにいなくなってしまった。それを確認してか、詩亜は澪に顔を向けた。
「澪、大丈夫か?」
「え?」
「あいつも嫌な奴じゃないんだけどな。ただちょっと口が悪い。困ったもんだよ」
そう言って詩亜は苦笑いをした。澪はそれを見て胸が熱くなっていたのを感じていた。
「ちょっと知り合い数人に挨拶しなきゃならないから、少しだけ我慢してくれよな。俺の後ろにいればいいから」
「うん」
そして澪は詩亜に手をつながれ、クラブハウスの中を歩いていった。
普段、スポットライトに当たっている特別な人たち。そんな人たちがこの場にはたくさん存在していた。テレビの中やスクリーンの中でしか見れない芸能人。そんな人たちに囲まれて澪は普段だったら恥かしいとか場違いだと思っただろう。でも今日は少し違っていた。それは詩亜にこうして手を握ってもらっているから。何故か自分は彼に守られているような気がしていたからだった。それが澪にとってどんなに心強かったか、詩亜には分かるのだろうか。
「あー!そのワンピ!クロトの新作じゃーん!」
詩亜が何人目かの知り合いと話している時、いきなりそんな声が澪の耳に届いた。澪は詩亜が他の人と話していると暇な為、何気なく声がした方に顔を向けた。するとそこにいた女性が澪に向かって指を指していたので、澪は目を丸くした。
「え?」
「まだ発売前じゃなかったっけ?何で着てるの?何でなんで?!」
澪はいきなり指差された事でもとても驚いたのに、その女性の正体にさらに驚いてしまった。彼女は最近ドラマやCMで引っ張りだこの若手女優のミハネだった。
(ミ、ミハネじゃない。なんて可愛いの!なんて顔が小さいの!細いのー!)
澪がミハネの登場に興奮していると、彼女は羨ましそうな目をしながら澪に近づいてくる。
「もしかしてクロトの関係者?そうなの?!」
「え?え?」
ミハネは澪にギリギリまで近づいてきて、いきなり詩亜と繋いでいる手と逆の手を両手で握ってブンブンと振り出した。だから澪はどうしていいのか分からなくなってしまった。
「お、ミハネ」
その状況を救ってくれたのはもちろん詩亜だった。
「あら、シア君じゃん。おっすっすー!」
ミハネはテレビでは清楚でお嬢様キャラで売っているはずなのに、ここにいる彼女はとても気さくでどっちかというと男っぽい感じだった。その違いはさすが芸能人だったけれど、本当の彼女の姿でテレビに出たとしても、新たな魅力となるのではないだろうかと澪は思っていた。
ミハネは澪が詩亜と手を繋いでいるのに気がつくと、ポンっと手を叩いていた。
「あー、そっか。シア君はクロトの専属だったっけ。だからかー」
「ん?何が?」
ミハネの納得に、詩亜が分からないという顔をする。
「彼女が着てるワンピ。私がかなり前から狙ってた奴なんよー。発売されたら絶対買おうって思っててさ」
「あー、なるほど。これって発売前のだったのか」
「そうそう。あー、やっぱ生でみても可愛いなー。あなた、幸せ者ねー羨ましいよ!」
「え?あ、ありがとうございます」
ミハネの言葉に澪は嬉しくなってついお辞儀をしてしまった。それを見てミハネは可愛い笑顔で笑っていた。
「それにとっても似合ってる。さすがシア君の彼女さんね」
「へ?」
『詩亜の彼女』その言葉が澪の体をカチカチに固めてしまったけれど、詩亜はそれを否定することなく、そのままミハネと仕事の話をしていたのだった。
「澪?どうした?」
しばらくボーっとしていた澪。それはもちろんミハネの発言が原因で、こうして詩亜とずっと手を繋ぎあっている状況にも澪はどう思っていいか分からなくなっていた。そんな澪に詩亜が顔を覗きこんでくる。
「え?あ、え?あ、な、なんでもない」
気がつくともうミハネはその場にはいなくなっていた。
(あー、もう。何一人でモヤモヤしてるのよ。せっかくミハネがいたっていうのに)
有名人とこうして接する機会なんて、もうこの後一生あるわけないのに、澪は一人で悶々としてしまった為、その機会を逃してしまった。それをかなり残念に思っていた。それでも隣に立つ詩亜をしっかりと見ることは出来ない。
その詩亜は賑やかな周りを見ながらフーっと深い溜息をついた。
「そうだよな、こんな場所に長い時間いると疲れるよな。もう一通り挨拶し終えたから、そろそろ出ようか」
「あ、うん」
まだ少し後ろ髪引かれる気持ちもあったけど、自分が場違いというのは分かっていたから、澪は詩亜に連れられクラブハウスから外に出ることにした。
外に出ると辺りはすっかり暗くなっていて、澪はバッグから携帯を取り出して時間を確認した。すると時刻はすでに8時を回っていた。
「澪」
「ん?」
「まだ時間あるよな?」
「え?あ、うん。明日仕事だけど、まだ平気だよ」
「じゃあもうちょっと付き合えよな」
そう言うと詩亜はスーツの胸ポケットの中から家を出る時にかけていた眼鏡を再びかけて、澪の手を取りどこかへ向かって歩き出していった。
(結局、今日一日ずっと詩亜君と手を繋いでたなぁ)
澪は前を歩く詩亜の後姿を見つめながらそんな事を考えていた。
詩亜は嘘の恋人だった武の弟。ふとしたことで一緒に住む事になったけど、こんな展開になるなんて少しも思いつかなかった。でもそれを澪には少しも嫌じゃなくて、詩亜の事が少しずつわかっていく度に彼に惹かれていく自分がいるのも分かっていた。
(でも……)
でも彼は有名人で御堂グループの子息。自分とはまったく違った世界に生きている人間だという事も澪はとてもよく分かっていた。
(だから期待はしちゃ駄目。これはきっと詩亜君の気まぐれで……)
そう思うと澪の胸がチクッと痛んだ。でも彼は人気のモデルで、きっと女性の扱いも慣れているに違いない。
「ねぇ、詩亜君。これからどこ行くの?もしかしてまた秘密?」
すると前を向いている詩亜から声が聞こえてきた。
「近くにさ、イルミネーションが綺麗なところがあるって聞いたんだよ。せっかくクリスマスの前の日なんだし、そこ見て帰ろうぜ」
「え?イルミネーション?いくいく!」
それはまるで恋人同士のデートコース。でも詩亜はちゃんと『せっかくクリスマスの前の日だし』と言っていた。だから変な期待はしてはいけないと澪は考えていた。
クラブハウスがあったビジネス街からどれくらい歩いただろう。澪と詩亜は大きな通りに辿り着いていた。そこは普段は車の通りがそこそこある通りだったけれど、今日は車の通行が禁止され、道の端に順序良く並んだたくさんのケヤキの木がイルミネーションで飾られいた。それはとても幻想的な雰囲気で、澪はこの場に着くなり、言葉をなくしてしまった。
「なんて綺麗なの……。すっごい」
この場所は穴場なのか、それかまだクリスマスの前日だからなのか、そんなに沢山の人はいなかった。だからこそ詩亜はこの場所を選んだのかもしれない。
「やっぱりクリスマスっていいね。クリスマスってさ、一年で一番好きな人と一緒にいたい日だな、ってこういう光景を見ると思うよ」
周りにはカップル達がそれぞれ愛を語らうようにイルミネーションの中に溶け込んでいた。それを見て、澪は去年の事を思い出していた。
去年の今頃、澪はまだ聡史と付き合って間もなかった。だから当然はじめてのクリスマスで、二人でこうやってイルミネーションを見に行って、夜景の綺麗なホテルに泊まって……。
(駄目よ、もう忘れたんでしょ)
聡史とはもう完全に終わっている。それは武にも協力してもらった。それなのに、イルミネーションの淡い光が色々な思い出を澪の心に思い出させてしまっていた。だって彼の事が好きで、1年も彼とは付き合っていたから。もう聡史の事を忘れてしまったとしても、楽しかった思い出は澪の心の中に残っていた。
そう思った瞬間、胸が熱くなって澪の瞳に涙が溢れる。そしてその涙は頬に細い筋を作る。それはたぶん無意識で、ハッとした澪は涙を手で拭った。
「ご、ごめん。ごめんなさい。なんか色々思い出しちゃって。バカだよね、とっくに終わった事なのに。私ってばほんと最悪」
急に涙を流した事を詩亜に謝ろうと思って澪は苦笑いをしながら彼に顔を向けた。すると詩亜の顔が思ったより近くにあって澪は驚く。
(え?詩亜君?)
そして詩亜はいきなり澪を抱きしめた。それは乱暴にではなく、とても優しく、包み込むように。
そんな詩亜の行動に澪は驚いてしまったけれど、それでも体があまりにも涙で満たされていて、ふいの詩亜の優しさにさらに目から涙が流れていった。
「澪、泣きたければ泣けばいい。叫びたければ叫べばいい。お前は少しもバカなんかじゃない。最悪なんかじゃないよ」
そんな優しい言葉が澪の耳に届く。それが澪には驚くほど嬉しくて、さらに澪は詩亜の胸の中で涙を流した。
(なんでこんなに涙が出るんだろう。そんなに私はまだ聡史に未練があったの?……違う。違うよ。きっと詩亜君だから。詩亜君が優しいから……)
周りの恋人達を見て昔を思い出して流してしまった涙。でも今流れている涙はもうそれとはまったく違っている事に澪は気がついていた。きっと澪はずっと優しさに飢えていたのかもしれない。自分でも気がついていなかったけれど、傷ついた心をこうして慰めてもらいたかったのかもしれない。だから詩亜の温かい心に澪は涙を流す。
(でも、詩亜君は何故ここまでしてくれるの?私は武さんの嘘の恋人なのに。なんで……)
そう思って澪は詩亜の腕の中から彼に顔を向けた。イルミネーションの淡い光に照らされた詩亜の美しい顔。それはまるで天使でも見ているような幻想的な姿だった。だから澪は息を呑む。そんな澪の視線に気がついたのか、詩亜が軽く微笑んだ。そしてそのまま。
(え?)
澪は一体自分の身に何が起きているのか、すぐには理解出来なかった。それは自分の唇に詩亜の唇が重なっていたから。でもすぐに自分の状況を理解し、体が熱くなる。
「ごめん、卑怯だよな。泣いているお前にこんなことするなんてさ」
詩亜とのはじめてのキスの時間はとても短かった。それでもまだ詩亜の顔は澪の目の前にあって、少し照れくさそうな詩亜はそう呟いた。それがとても可愛くておかしくて澪はつい笑ってしまった。
「あ、笑うことねーじゃん。俺はもういっぱいいっぱいなんだから」
そう言いながら詩亜はまた澪にキスをする。軽く、それでいて甘いキスを。
(私、詩亜君を……)
二人は意思の疎通をしたわけではない。だから詩亜が自分をどう思っているか澪には分からなかった。それでも自分は詩亜に惹かれているのに気がついた。いや、もうずっと前から彼に惹かれていたのかもしれない。だから詩亜のキスを拒む理由もなく、澪はそのまま彼に身をゆだねる。
「澪、帰ろう」
その言葉がどういう事を示すのか、澪でも分かった。でも澪はそれに答える事が出来なくて黙っていたけど、詩亜は澪の手を取りゆっくりと歩き出した。澪もそれに素直にしたがって、詩亜に連れられこの場を後にしていった。
澪は詩亜と一緒にタクシーに乗っていた。いつもならパーティの事とかイルミネーションの事とか楽しく話をするところだったけれど、今は少しも話す気になれなかった。それは喧嘩して気まずいとかそういうのではなく、緊張をして何を話していいか分からなかったからだった。
(私、詩亜君と……)
澪は詩亜とキスをした。はじめのキスはただのふいのキスだったかもしれないけど、二度目のキスはそうではなく、とても甘いキスだった。そう思うと澪は顔が熱くなっていく。
別にこれはファーストキスというわけじゃない。今まで何度もキスをした事があったし、エッチだってもちろん経験がある。それなのにこうして家が近づいてくると思うと、澪の頭の中が真っ白になっていくのだった。それはまるではじめて人を好きになった時のような甘酸っぱい気持ち。
(そういえば詩亜君、さっき『いっぱいいっぱい』って言っていたな)
今時の高校生は普通に恋人がいるし、体の関係だって当たり前だって聞く。それにこんなに綺麗で有名な詩亜。周りに言い寄ってくる綺麗な女性が何人もいて、こういうことには慣れっこのはずだと澪は思っていた。
(でもさっきの詩亜君はそんな感じしなかった。なんでだろ)
そんな事を思いながら澪は詩亜の方に目線だけ向けてみたけど、詩亜は窓の外を見ているようで、その表情を伺う事は出来なかった。
そしてタクシーは澪のマンションの前で止まる。それと同時に澪のドキドキは最高潮に達していた。きっとこの後部屋に行ったら、と考えてしまうから。
タクシー料金は俺が払うから、と詩亜が言ったので、澪はどこまでも聞こえていきそうな胸の鼓動を抑えつつタクシーから降りた。外の冷たい空気がいつもより気持ちよく感じる。きっとそれほど澪の体は熱くなっているに違いなかった。
しかし、その熱い体が一気に冷たくなってしまう出来事が待ち受けているなんて、澪も詩亜も予測出来ただろうか。
それはタクシーから降りた澪にかけられた声からはじまる。
「澪さん、おかえりなさい」
「え?」
澪はその声に体が固まる。そして声のする方向に目線を動かした。それはマンションのエントランスからの声だった。
「武、さん……?」
そこに立っていた人物。それはスッとした立ち姿にスタイリッシュなスーツ姿の紛れもなく御堂武で、武はいつもの優しい笑顔で澪を見ていたのだった。
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