誰がための小夜曲


第2部 不思議な同居生活
【5】


 澪が次に目を覚ましたのは、寝なれたベッドの上だった。しかし、昨日お酒を山のように飲んでその後の記憶がまったくないから、澪の頭は混乱していた。
「あれ?あれ?私どうしたんだっけ?どうして家に帰ってるんだっけ?」
 澪は二日酔いのせいで重い頭を抱えながら、ベッドから体を起こした。すると自分が昨日の服と同じまま寝ている事に気がついた。
「あれ?え?」
 さらに混乱してきた澪。すると部屋の扉が開く音が響いた。
「やっと起きたか。おはよう、もう昼過ぎているぞ」
 部屋に入ってきたのは詩亜で、彼はベッドで混乱している澪を見下ろしていた。
「詩亜君、お、おはよう。ねぇ、なんで私、きちんと帰ってきたのか知っている?そこらへんの記憶がまったくなくって……」
 記憶がなくなるまで飲んでしまったのは葉月亜里沙のせいでもあったけれど、彼女の女としての力に圧倒されてしまった澪。決して自分では真似できない彼女のすごさに、澪は飲んで現実を忘れる事しか出来なかった。そんな自分が情けなくて、服のまま寝ている自分が空しくて、澪は深い溜息を付く。
 そんな澪を見下ろしながら、詩亜も溜息を付いていた。
「お前、ほんとになんも覚えていないのな。昨日は俺が迎えに行ったんだよ」
「え?詩亜君が私を?な、なんで?」
「なんでって……、なかなか帰ってこないから連絡したら、お前が酔いまくってるんだぜ?ほっとけるわけないだろ」
 澪は詩亜から電話があったことさえ頭のどこにも記憶がなかった。だから澪はだんだん恥かしくなっていく。
「それはごめんなさい……。私、かなり酷い状態だった?」
「酷い酷い。お前じゃないみたいだったよ」
 驚くほど陽気で楽しそうな酔った状態の澪。それを思い出すと詩亜は笑いがこみ上げてくるようだった。しかし、『酷い』と言われてまた澪は頭を抱える。
「うぅ。また私はやってしまったのかー……。やっぱりお酒って怖い」
「またって、お前、前にもこんなことがあったのか?」
「う、うん。でも記憶まではなくなってないけど」
 澪は武と会った時の事を思い出していた。あの時もお酒の力によって澪はまったく知らない男性である武に話しかけていた。自分がこんなに酒癖が悪いという事を改めて知って溜息が出る。
「お前なぁ。もうやけになって酒飲むのやめろよな。今回は俺がいたからいいものの……」
「はい……、そうします」
 見るからに落ち込んでいる澪の姿。それを見て詩亜はしょうがないな、という顔で見ていた。
「じゃあ、もう起きろよ。これから一緒にでかけるぞ」
「え?出かける?どこに?」
「いい所だ。さぁ、さっさと準備しろ。あ、その前にちゃんとお前の友達に昨日の事を説明しておけよな。美雪……って言ったっけ」
 詩亜はそう言い放ってリビングに戻っていった。澪は詩亜が何を言っているのかさっぱり分からなかったけれど、携帯を見ると美雪から『シアの事、ちゃんと説明してね』というメールがきていたので、明日会社でちゃんと説明すると返信しておいた。そしてさすがに昨日の服のまま、メイクもそのままではいられず、起き上がって浴室へと向かっていった。

 お風呂から出て再び着替えと化粧をしなおした澪は、詩亜が待つリビングへと入っていった。するとそこには太い黒縁の細めの眼鏡をかけた詩亜がソファーに座ってテレビを見ていた。
「あれ?詩亜君って眼鏡かけていたっけ」
 澪はそう言いながらキッチンに向かい冷蔵庫からお茶を取り出して一口飲んだ。お風呂の後で体がカラカラなのか、お茶を飲むと体に染みわたるような気がする。
「いーや。両目とも1.0だよ」
「じゃあ、それは?」
「一応俺もテレビに出ているからな。変装だよ」
 そう言って詩亜はテレビを消してソファーから立ち上がり、近くに置いてあった有名ブランドのロゴ柄の帽子を頭に深くかぶった。たしかに一目では詩亜だと分からない姿になったけれど、彼の背の高さや顔の小ささ、スッとした立ち姿はどうやっても隠せてはいない。明らかに普通の男子とは違った詩亜の姿。驚くほど似合う詩亜の眼鏡姿に、澪はすれ違ったら確実に振り返ってしまうだろうと思っていた。
「じゃ、行くぞ」
「えっと、だから、行くってどこに行くの?」
「まあ、どこでもいいじゃん。そのうち分かるよ」
 詩亜はそう言いながらそのまま玄関へと向かって行ってしまった。だから澪はそれ以上何も聞く事が出来ず、詩亜に着いていくしか出来なかった。

 マンションを出ると詩亜が呼んでおいてたのかマンションの前にタクシーが止まっていて、二人はそれに乗りある場所に来ていた。
「こ、ここって……」
 そこは最近オープンした人気の超高層タワービルで、テレビでも連日特集が組まれているほど有名な場所だった。だから澪はすぐに目を丸くする。ビルの中には高級ブランドの店や、ホテル、レストランにカフェ、住居やオフィスなど色々な施設が揃っていた。
「す、すごい人の数だねぇ」
 さすがにクリスマスの前の日の祝日だけあって、ビルの前の広間にはカップルや観光客、セレブな人たちでごった返している。きっとビルの中もすごい人に違いない。
「まずはここで服を買う。俺とお前のな」
 澪はこの場所に来た事に興奮していたけれど、詩亜はとても冷静で、まるでここには何度も来ている、とでも言っているようだった。
「へ?そ、それはどういうこと?」
「まー、いいから。着いてきて」
 そう言った詩亜はいきなり澪の手を握った。だから澪は詩亜を驚いた目で見る。
「え?し、詩亜君?」
 しかし詩亜は澪の問いかけには答えず、そのまま人ごみの中を歩き出してしまった。だから澪もそのまま詩亜に引っ張られて行くしか出来なかった。
(人がすごいからだよね。だから詩亜君は手を繋いでくれたんだよね)
 周りはすごい数の人たち。きっとこの手を離してしまえば簡単にはぐれてしまうだろう。だから詩亜は手を繋いでくれている。澪はそう思わなければやっていられなかった。そうしないときっと澪の心臓はドキドキで爆発しそうだったから。
(もう!なんでこんなにドキドキするのよ。澪!)
 そう思ってもその答えは澪の心の中からは出てこなかった。もしかしたら出してはいけないと思っていたのかもしれない。
「よしここだ」
「え?ここって」
 詩亜が立ち止まった場所。それはあるブランドの店の前だった。ビルの大きなフロアの一角にあるその店には『クロト』という洗練されたロゴが壁一面に大きく描かれている。
 それは澪でもよく知っている有名なブランドだった。ファッション雑誌でよく特集されていたり、芸能人がワイドショーのファッションチェックでここの服を着ているのを見ていた。もちろん澪はこのブランドに知ってはいたけど、相当頑張らないと買えない高嶺の花だった。しかし、そんな店に詩亜は何の躊躇いもなく入っていく。
「ちょ、ちょっと詩亜君!」
 店の中に入ると、人々でごった返していたビルのフロアの雰囲気から一転して、急に大人な落ち着いた空間になっていた。クロトのイメージの色なのか、すべてが黒と白で統一されている。それは澪にはとても緊張をする空間だった。しかし、そんな緊張する澪をよそに、詩亜は店に入るなり、一人のスーツの男性に声を掛けた。するとその男性は急に姿勢を正して詩亜に軽くお辞儀をする。
「これは御堂様。いらっしゃいませ」
「裏、いいかな?」
「もちろんでございます。さぁ、こちらへ」
 そんなやり取りが澪の耳に入っていたのか入っていないのか、まだ店の雰囲気に緊張している澪は周りをただキョロキョロとしていた。明らかにおのぼりさん。そんな姿を見て詩亜は少し笑っていたけど、それを澪はまったく気がつかなかった。
「澪、行くぞ」
「え?」
 そして澪は再び詩亜に引っ張られ店の奥へと進んでいった。
 デパートが金持ちのお得意様の為に裏の部屋を用意している、なんて話をどこかで聞いた事がある。でもそれは自分にはまったく関係のないことだと澪は思っていた。だからそれを自分が体験するだなんて夢にも思っていなかった。
「う、うわぁ」
 澪が詩亜に連れてこられた場所、それはクロトの店の奥にある個室だった。そこは店内と同じく白と黒で統一され、壁には高そうなバッグや靴などが綺麗に展示されている。まるでそこはクロトの店内をギュっと小さくしたような場所のようだった。
「こ、ここは何?」
「ここは特別な部屋だよ。俺がこんな日に店の中にいて騒ぎになったら駄目だろ。そういう時の為にこの部屋があるんだ」
「へ、へぇ。そうなんだ」
 普通の人ではあありえない世界がそこに普通に広がっていて、詩亜はそれを当たり前のように話す。それを澪はもう感心するしか出来なかった。
「御堂様、今日はどのような御用ですか?」
 二人をこの部屋に連れてきた男性が詩亜に向かって丁寧にそう言った。たぶんこの人はこの店の店長なんだろうと澪はなんとなく思っていた。
「これからパーティがあるんだ。だからそこの彼女に似合う服を選んでほしい」
「え?パーティ?」
 澪はそんな事初耳、という顔をしたけれど、詩亜はそのまま話を続ける。
「編集部主催のパーティだから、そんな堅苦しいのじゃなくていいかな。どうだろ?お願いできるかな?」
「了解致しました。御堂様はどう致します?」
「僕は自分で選ぶよ。リストあるかな?」
「はい、すぐに用意させます」
 そう言って男性はすぐに隣の店内に戻っていったので、澪はすぐに詩亜に問いかけた。
「詩亜君、パーティって何?意味が分からないんだけど」
「パーティはパーティだ。いいじゃん、どうせ今日は暇なんだろ?だったら俺に付き合えよ」
「それは……」
 確かに澪は今日はまったくの暇の暇。昨日のコンパで上手くいったのであれば今日も明日も明後日も予定が埋まっただろうけど、少しも上手くはいかなかった。だから普通であれば家で普通の休日を過ごしていたに違いなかったから、こうして連れ出してくれたのは嬉しかったけど、いきなり『パーティ』と言われて澪は戸惑っていた。
「そんな顔するなよ。大丈夫だよ、雑誌の簡単なパーティだから。それに少し顔出したら帰るつもりだし」
 詩亜がそう言ったところで、個室に何冊かの本を持った店長が入ってきた。その後ろからは女性店員も入ってくる。そして女性店員は澪のもとに一直線で向かってきた。
「御堂様、お連れ様は店内に出られても大丈夫でしょうか?」
 女性店員がそう言うと、詩亜は軽く頷いた。
「ああ、大丈夫だよ。宜しく頼む」
「了解いたしました。ではお客様、こちらに」
「え?あ、はい」
 澪はそう言われて反論する事も出来ず、そのまま女性店員に連れられて、再びクロトの店内に戻っていった。

 真っ白で触り心地の良い生地のワンピースにこげ茶色の上品なブーツ、その上からシンプルだけど大きめのボタンが可愛い黒のコートを羽織る。それが女性店員が見立ててくれた今の澪の姿だった。鏡に映ったその姿は今までにないほど上品に見えて、本当にこれが自分なのか目を疑うくらいだった。
「うん、いいね。じゃ、これに決めるよ」
 澪が新しい服に着替えて個室に戻ってくると詩亜も違う服に変わっていた。よく見ると模様の入った黒のスーツに細い黒のネクタイをしめている。でもスーツ姿なのに少しも堅苦しくなくて、どこかラフな感じがする。さすがモデルというだけあって、詩亜は何を着てもよく似合っていた。たぶん溜息が出るくらいカッコいい姿。
「今日着てきた服は家に送ってくれるかな?」
 詩亜は財布から黒いカードを取り出しそれを店長に渡しながら訊ねた。すると店長は笑顔で頷く。
「あの……詩亜君?」
「ん?」
 店長は詩亜のカードを大事そうに持ち店内に戻っていったので澪は恐る恐る詩亜に聞いてみた。それは澪が一番心配している事だった。
「これって……相当高いよね?」
「ん?あー、値段の事か?」
「う、うん」
 財布一つでも驚くほどの値段がついているクロトの商品。それが全身ともなると澪の給料何か月分になるのか想像も出来なかった。それに驚く事に、店員が持ってくる服や靴には一切値札という物が付いていなくて、澪はどの商品も値段が分からなかった。
「それは別に気にしなくていいよ。俺を誰だと思っている?」
 詩亜は澪に向かってニヤッと笑って見せた。
(そりゃあなたは御堂グループのご子息だけど)
 澪はそう思っていたけど、値段の事はやはりすごく気になっていた。
「それに親の金じゃなくて、俺が働いた金で買ったからさ」
「で、でも……」
 澪は詩亜とほんの少し前に知り合ったばかり。だからそんな人にこんな高価な物を買ってもらう義理なんてどこにもないと思っていた。そんな澪の困った表情を見て、詩亜が頭をグシャっと掻いた。
「あー、もう。そんな顔するなよ。……うーん。そうだ、これは俺からのプレゼントだと思ってくれ」
「え?プレゼント?」
「ほら、明日は何の日だっけ?」
「え?明日?あ、クリスマス?」
「そうそう。短い期間だけどお前にはすげー世話になってるからな。これくらいは俺にもさせてくれ」
「え?で、でも」
「でもじゃない。それか何か?お前は俺のせっかくの好意を断るっていうのか?」
「そ、それは」
「お前は素直に喜んでいればいいんだよ。俺が女にこんな事するなんて滅多にない事なんだぞ?」
「詩亜君……」
 詩亜にそう言われて澪はもう何も言えなかった。それにいきなりの『クリスマス』プレゼントが澪にとってとても嬉しい事だったから。だから澪は心の中がとても温かくなっていることを感じていた。
 店ですべての会計を済ませて、澪のマンションの住所を店長に渡した澪と詩亜は、ビルの従業員通路を通って外に出ていた。店を出る時、澪は新しいバッグまで渡されてびっくりした。
「なんかすごいねぇ。私まで有名人になった気分」
 再びタクシーに乗りながら澪は今までの事を振り返っていた。それはすべてが特別だった。
「でも本当にいいの?バッグまで頂いちゃって」
 ワンピースにブーツにコートにバッグ。それだけでも驚くのに、さらにバッグまで貰ってしまった澪。これにはさすがに恐縮してしまう。
「俺がいいって言っているんだから澪は素直に受け取ればいいんだよ。それにその服、よく似合っているしな」
「え?」
 それは詩亜がサラッと言った言葉だったけれど、澪の心臓がドクンと強く鼓動したのは間違えなかった。
「あ、ありがとう……」
 だから澪は口ごもりながら詩亜にお礼を言った。それに詩亜は笑う。
「どう致しまして」
 嬉しい。それが『よく似合う』と言われて澪が思った言葉だった。それは誰に言われても嬉しい言葉だったけれど、詩亜に言われるその言葉は何か特別な感じがしていた。



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