誰がための小夜曲


第2部 不思議な同居生活
【4】


 十二月二十二日、明日は祝日で明後日はクリスマスイブ。そんな日に澪は会社から近い居酒屋に来ていた。それは、美雪が企画したコンパが今日だったからだった。
 チェーン店だったけれど洒落た和風の作りの店内は、澪と美雪のお気に入りの店で、コンパはもちろん、お酒を飲みたい時はよく二人でこの居酒屋を利用していた。その中の掘りごたつ席の個室に澪たちは通されていた。
「澪、本当にごめんね。こんな事になっちゃって」
 それがあのメールを貰った次の日に美雪が謝りながら澪に言ってきた言葉だった。申し訳無さそうな顔をしている美雪とは反対に、澪はいつものように笑顔だった。
「もういいよ。それにせっかく美雪が企画してくれたコンパだし、私は飲みまくらせてもらうからね」
「澪……」
 絶望ならメールをもらった時点で深く感じたし、詩亜にだって散々色々な事を言われた。だから澪はもうこれ以上考えてもしょうがないと、亜里沙のことは気にしないようにしようと思っていた。
「だから美雪も一緒に飲もうよ!どうせ明日は休みなんだからさ」
「う、うん。そう言ってもらえると嬉しいよぉ」
 美雪は澪の言葉を本当に喜んでいるようだった。それだけ自分がコンパに亜里沙を連れてくる事になってしまったことを落ち込んでいたのかもしれない。
 だから澪はコンパ当日、居酒屋で葉月亜里沙に会ってもいつものような怒りは感じていなかった。
 今回のコンパは女性が四人、男性が四人で、男性陣のメンバーはどこかの会社の営業の人たちのようだった。そこそこ顔のいい人や運動をしていたような体つきの良い人など、四人とも見た目は上々で、これが普通のコンパであったら澪も出会いを期待したかもしれない。しかし、今日はここに来た時点でそれはまったく期待してはいなかった。だから案の定、男性陣が亜里沙に注目していても、澪はそれを気にする事無く次から次にお酒を注文していた。
(しっかし、本当にすごい子だなぁ)
 澪は少しフラフラする頭で亜里沙を見ながらそう思っていた。亜里沙はキャバ嬢がするような太い巻き髪に、冬だというのにノースリーブのワンピースを着ている。
「ねぇねぇ美雪、あれって寒くないのかね」
 澪は隣に座る美雪に小さな声で呟いた。美雪も澪と同じようにすでにお酒を何杯も飲んでいた。
「きっと我慢してるんじゃないの?厚着じゃ注目されないしねー」
 モテる為には我慢をしなきゃいけない。澪はそう聞いて亜里沙の事を感心していた。それに、亜里沙は仕草がいちいち可愛らしい。本当の彼女はもっとサバサバした人物らしいけど、彼女が作っている女の子らしい仕草と、アニメのような高い声が男性の心を鷲掴みにしているのは確かだった。
(きっと私はまったく可愛く写ってないんだろうなぁ)
 ビールを三杯軽く飲んで、次に日本酒、しまいには芋焼酎まで手を出している澪。それに比べて亜里沙は綺麗な色のカクテルをチビチビと口につけていた。
(でも、自分を作ってまでして男にモテたいのかな……)
 目の前が少しずつ空ろになっていく中、澪は男性の目を惹くために楽しい会話を次々と出してくる亜里沙をジッと見ていた。それに比べて自分は……と、澪は段々と自分が嫌になってきていた。
(亜里沙が来たから男性が私を見てくれないわけじゃない。こんなんじゃ、誰も私を見てくれるわけないかもしれないな……)
 しかし、そう考えるのはもう遅かった。澪はすでにお酒が体全体に回っていて、それを止める事は自分では出来なかった。

 * * *

 時計はもう夜の十二時になろうとしていた。澪は十一時には帰ってくるよ、と言っていたので、詩亜は段々と体がソワソワしだしているのを感じていた。
「あいつ、酔っ払ってどっかに倒れてんじゃないのか?」
 そう思った詩亜は、携帯を取り出して澪に電話を掛ける。しかし、澪は電話に出ない。詩亜は何だか胸騒ぎがしてきた。
「ヤケになったとか、ないよな?澪、電話に出ろよ」
 自分が澪を何度も煽ってしまった。その責任を感じているわけではなかったけど、これで澪に何かあったら後味が悪いと、詩亜は何度も何度も澪に電話をかける。すると十回ほどかけた所で、携帯が繋がる音が聞こえてきた。
「澪?澪、聞こえるか?」
『あー!詩亜くーんだー。どーしたのー』
 それは確かに澪の声だった。しかし、声だけでも彼女がかなり酔っているのは分かる。それに澪の声の向こうからはとても賑やかな音が聞こえてきていた。
「お前、どこにいるんだ?」
『カーラーオケー。でもねー、そろそろ帰る所だよー』
 浮かれた澪の声。彼女が無事なのが分かって詩亜はホッとしていたけれど、その状態できちんと家に帰ってこれるとは思えなかった。
「おい、澪。近くに美雪って奴はいるか?」
『へ?美雪?美雪と話したいノー?ちょっとまってねぇ』
 そして携帯の向こうから『美雪ーみーゆきー』『澪、本当に大丈夫?』『だいじょぶじょぶ。それよりこれこれー』『え?何?』というやり取りが聞こえてきていた。澪は酔っ払い状態だったけれど、どうやら美雪は正常のようだった。
『……もしもし?誰ですか?』
「澪の同居人だ。そこがどこだか教えてくれ。タクシーで迎えにいく」
『へ?同居人?一体どういうことですか?』
 美雪の声は、そんなことはじめて聞いた、という感じで、詩亜は他の奴には言ってないのか、と思っていた。しかし、今それを説明している場合ではない。
「それはあとでそいつが説明する。だからその場所を教えてくれ」
 美雪は何が何だかわからないという状態だったけれど、カラオケの場所を教えてくれた。マンションから少し距離はある場所だったけれど、今はもう深夜だし、タクシーを飛ばせばそんな時間はかからない場所だった。
「さんきゅ。じゃ、今からそっち行くから、そいつを一人にしないでくれよ」
 そう言って詩亜は携帯を切り、自分の部屋から上着を手にとって部屋を出て行った。
「まったく、なんて女だ」
 そして詩亜は、そのままマンションを出て、タクシーを捕まえる為、大通りに走っていった。

 美雪は澪の携帯を手に呆然としていた。
「どうしたの?何かあった?」
 美雪の隣に座っていた彼女の友達が美雪を心配そうな顔で見ていた。それに美雪は笑顔で答える。
「ううん。なんでもないよ。これから澪の友達が迎えにくるんだってさ」
「そっか。澪ちゃんこんな状態だし、それがいいかもしれないね」
「うん、そうだね」
 相変わらず亜里沙は男性陣の目を引き付けながらその美声を披露していた。彼女は本当に自分に皆を振り向かせる術を何でも持っているんだな、と美雪は思っていた。
(電話の向こうの声、男の人だったよね。それも同居人とか言ってた……どういうことなんだろ?)
 しかし、当の本人である澪は美雪の膝を枕に眠りの世界に入っていた。本当は今日のコンパはこの子の為に企画をした。それなのに、美雪が今日の主役と考えていた澪はこうして酔っ払って眠ってしまった。それに美雪は責任を感じていた。
 澪はいい子だ。それは会社に同期として入ったときから思っていた。はじめは他の女子がいなかったから、一緒に昼食を食べようという事で話しかけたけれど、その時の澪の反応はとても薄かった。だから初日の昼食はとても静かで、この会社に来たのは失敗したかな、とさえ思っていた。でも次の日には彼女の方から話しかけて来たので美雪は驚いた事を覚えている。
 後々で分かった事だけれど、澪はとても人見知りをするらしく、初日に全然話せなかった事をその夜に眠れないほど後悔したということだった。だから彼女は必死の思いで次の日に美雪に話しかけたらしい。それを聞いてその時は澪に向かって大笑いしていたけれど、心の中では美雪はとても喜んでいた。
 澪は自分のイケメンの話もとてもよく聞いて頷いてくれる。他の友達がいい加減にしなよ、という事もきちんと聞いてくれる。それも楽しそうに。だから美雪は澪と一緒にいるのがとても好きだった。
 そんな彼女が聡史と付き合う事になったと顔を赤らめて報告してきた日のことは美雪はとてもよく覚えている。それなのに、その聡史に尽くして尽くして、その先に待っていたのは別れだった。
(この子を本当に思ってくれる人が現れるといいのに)
 今の美雪の願いはそれだけだった。

 * * *

 終電が近づいている、ということで、コンパのメンバーである八人はカラオケ店から外に出ていた。澪は酔っ払って美雪の支えナシでは歩けないくらいだったけれど、他のメンバーはほろ酔いくらいで、楽しそうに冷たい夜風に当たっていた。
 そこに一台のタクシーがカラオケ店の前に止まったので、メンバー一同はタクシーに注目した。それがきっと澪の友達が乗ってきたタクシーではないかと思っていたからだった。そして、タクシーはその場に留まり、中から一人の男性が降りてきた。それは背がスラッととても高い、小顔の人物だった。
「え……?」
 声をはじめに上げたのは美雪だった。なぜなら、タクシーから降りてきたのが意外な人物だったから。
「シ、シア?」
 そして次に声を上げたのは、意外にも亜里沙だった。亜里沙はタクシーから降りてきた詩亜を見て、目を丸くしている。しかし、亜里沙だけではない、そこにいる人たち皆が詩亜を見て驚いた顔をしていた。それだけ詩亜は有名な人物だった。
「あー!詩亜くーんだー!」
「ええ?!」
 空ろな目の澪は、タクシーから降りてきた詩亜を見るたび、いきなり大きな声を出したので、美雪はとても驚いてしまった。そして澪が自分の体から離れて、詩亜の所に走っていったの事も驚くべき事だった。
「澪、お前酔いすぎ」
「えへへ、ごーめんなさいー。でも気持ちよかったぁのぉ」
「はいはい、それは良かったな」
 そして澪は詩亜の体に抱きつきながら、そのまま眠りにつこうとしていたので、詩亜は澪の体を支えながら、タクシーの中に押し込んでいた。
「えっと、美雪ってどの人かな?」
 澪をタクシーに積み込んだ詩亜は、再び外に出て、コンパのメンバーを見ていた。そして自分の名前を呼ばれて美雪は恐る恐る手を上げる。
「今日はすまなかった。訳が分からないと思うけど、この件については後日あいつから聞いてくれ」
「え?は、はい、わかりました」
 テレビで見るのも美しいけれど、こうして目の前で見るとさらに綺麗な詩亜の顔。なんてまつげが長いんだろう、と美雪は思っていた。それも詩亜は自分の名前を呼んでいる。その事実に美雪はまだ受け止められないでいた。これは何かの夢ではないか、と思うように。
「じゃ、俺らは帰るよ。他の人も気をつけて」
 そして詩亜はタクシーに乗り込もうという所で、体が止まった。そして再び外に出て、美雪に手招きをした。
「え?」
「ちょっといい?」
「は、はい」
 美雪は詩亜に呼ばれ、急いで彼のもとに入っていった。すると詩亜が小さな声で耳打ちしてきたので、美雪は体全体が震えたのを感じていた。
「なぁ、葉月ってどいつ?」
「え?……あ、えっと、あの太い巻き毛の人です」
「巻き毛……ね」
 詩亜は美雪に言われて辺りを見回していた。そしてすぐに亜里沙と目が合った。
 詩亜と目が合ったということで、亜里沙の目の色がすぐに変わったのは言うまでもなかった。だから亜里沙はすぐに詩亜の前に出ようと思っていた。しかし、詩亜はすぐに視線を美雪に戻したので、亜里沙はそれ以上前に行く事が出来なかった。
「分かったよ、ありがと」
「い、いえ」
「じゃ、な」
「は、はい」
 そして詩亜は今度こそタクシーに乗り込んで、そのまま車は進んでいってしまった。それを美雪はずっと見ていた。

 * * *

 澪が帰った後、もちろん、その場は騒然となった。
「あ、あれ、シアだよな?な、なんだよ、青島さんってシアの知り合い?」
「うわぁ、俺挨拶しときゃよかった。なんで写メ取らなかったんだろ……」
 そんな声が男性陣から聞こえてきていた。美雪は友達や亜里沙に色々聞かれたけれど、とりあえずは分からない、としか答えられなかった。
(一体何がどうなっているんだか……)
 とりあえず家に帰ったら、澪に今日の事の説明をするようにとメールをしようと美雪は思っていた。そして、まだ耳に残る詩亜の声を忘れないように、と思っていた。

 * * *

 詩亜は夜の街を走るタクシーの中で、澪の寝顔を見ていた。カラオケ店の前で見た澪は、詩亜が今までに見た事のないくらいの陽気な姿で、彼女がかなりの量のお酒を飲んだ事を現していた。だから詩亜は澪を見て軽く溜息を付いた。
「こんなに飲んで。そんなに葉月ってやつが来たのが嫌だったのか?」
 眠っている澪に呟いても返事が返ってこないのは当たり前だった。しかし、澪の口から何かの言葉が出る。もしかして起きたのか?と詩亜は澪の顔を覗きこんだけれど、澪はその様子はなく、寝言を言っているようだった。
 そんな澪からこんな言葉が口から洩れる。
「……私がもっと美人だったら。亜里沙みたいだったら……」
 詩亜は葉月亜里沙を見た。大げさな縦まきロールの女性。顔はたしかに美人で、姿は見るからに男性が好きそうな格好をしていた。だから、彼女が男性にモテるのも分かる。しかし、亜里沙を見ても詩亜はやはり留美のような女性だなとしか思わなかった。
 しかし、詩亜がそう思っても澪は違うのだろう。自分とはまったく違う『女性』に、澪はやけ酒を飲むしか出来なかった。それだけ澪は自分に自信がないのだろう。
 だから詩亜は澪の頬にソッと触れ、そして小さく呟いた。
「お前はあんな奴より何倍も可愛いよ。なんで俺がこんな所までお前を迎えに来てると思っている」
 そして詩亜は澪の額に軽くキスをしたけれど、澪はすでに深い夢の中で、それを気づく事すら出来なかった。



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