誰がための小夜曲
第2部 不思議な同居生活
【1】
「うお、プレステ3じゃん。なんでお前の家にあんの?」
詩亜は澪のマンションに入って、すぐに色々と驚いていた。それは小さな会社のOLなのにいいマンションに住んでいるだとか、部屋の中には最新式のAV機器が揃っているだとか、見るものすべてに驚いていた。
「い、いいじゃない。私が好きだから持っているだけだよ」
しかし、それは嘘だった。新しい物に興味がないわけじゃなかったけど、澪の給料ではそういう新しいものを買うのはすごくギリギリだった。今でもマンションの家賃を払うので精一杯。しかし、澪がこんなに立派な所に住んでいるのも、最新式のものを持っているのも、ちゃんとした理由があった。今ではもう切ないその理由。
「それ、嘘だろ。お前ってすぐ顔に出るよな」
澪は買ってきた今日の夕食の食材を、リビングから続いているオープンキッチンにある冷蔵庫にいれている所だった。そこに詩亜がやってきて澪の顔を覗き込む。だから澪は驚いて手が止まった。
「ま、どうせ、お前の事だから、彼氏が好きだからーとかそういう理由だろ?」
詩亜は澪の顔を見てニヤッと笑った。
「な……」
図星。だから澪は言葉を詰まらせる。
「うわ、まじかよ。もしかして、それでこんないいマンションに住んでいるのか?」
それも図星だった。すべては前の彼氏である聡史が喜んだから。『このマンションよくね?こんな所で暮らせたらいいよなー』と言われたからこのマンションを頑張って契約した。『プレステの3が出たんだってよ。お前の家のテレビでかいし、お前、買わない?』と言われたから高いけど最新のゲーム機を買った。だから今ではこの家にいるだけで気分が悲しくなる。本当は近々引っ越そうかと思っていたくらいだった。
詩亜に図星を付かれて固まっている澪を見て、詩亜は溜息をついた。
「お前ってほんとにしょうがない奴だなぁ。そんなんじゃいつか悪い男に金でも騙し取られるぞ」
「う、うるさいわね。もう向こう行ってて!夕ご飯あげないわよ!」
詩亜が言っている事はすべて当たっていた。こんな性格だと、いつかすごい事件にでも巻き込まれるんじゃないかと澪は自分でも思っていたくらいだった。でも好きな人が出来ると、何かをしてあげたいという気持ちにすぐになってしまう。
「はいはい。じゃ、せっかくだからゲームでもしてますかねー」
そして詩亜はリビングに戻っていたので、澪は切ない気持ちを引きずりながら夕食の準備を始めた。
(だから私は詩亜君を家の中に入れたんだろうなぁ)
澪はから揚げを油で揚げながら、そんな事を考えていた。
(好きな人が喜ぶ事をしたい。聡史の時とは違うけど、私は武さんに気に入られたいのよね、きっと)
繋がりが切れてしまった武との関係。それが詩亜によってまた繋がった。そしてここで詩亜を家に泊める事にすれば、武の中に自分の居場所が出来る、喜んでもらえる、そう澪は考えざるおえなかった。だから澪は溜息を付く。
(本当にこれでいいのかなぁ。結局は辛い事が長引いたような気がするよ)
いくら再び繋がったとしても、どうせ待っているのは別れ。だから澪は本当に詩亜を受け入れて良かったのかよく分からなくなっていた。
「な、なんだよ!これどうなってんだよ!」
そんな時、リビングから詩亜の必死な声が聞こえてきた。詩亜はコントローラーを握りながら必死でゲームの攻略をしている。
「くそー!また死んだ。もう一回だ!」
それでも、家の中に人がいるというのは澪にとってすごく嬉しい事だった。聡史と別れてから味わっていなかった家の温かさ。
(それも驚くほど有名な人……)
もしかしたら武以上に自分とは関わりがないんじゃないかと思う詩亜。体から後光が出ているような有名人が家の中にいるのはとても不思議だった。
(それも半月だけだけどね)
そんなことを思いながら澪は久しぶりに二人分の食事を準備する事を楽しんでいた。
「んー、美味い。お前って意外と料理上手いんだぁ」
「意外は余計よ、意外は」
一人では広いダイニングテーブル。今日はそこに二人が座っていた。
「これも彼氏の為か……って俺、しつこい?」
「うん、しつこい」
澪はモデルの詩亜がどれくらい食事するのかわからなくて、聡史の時と同じくらいの量を作っていた。もしかしたら太らない為に小食なのかと思っていたけど、詩亜は普通に男性が食べるような量を平らげていた。
「ねぇ詩亜君。よくあなたのお母様が私の家に来るの許してくれたね」
「あ、ああ。お袋はお前のこと、相当気に入っているんだろうな。嬉しいだろ、澪」
「そ、そんな事ないよ」
嘘。もちろんそれは嬉しい。
「本当なら俺が一人暮らしでもすりゃーいいんだけど、おれん家って学校出るまでそれは許してもらえないんだよな」
「へぇ、そうなんだ」
そんなの無理やり出てきちゃえばいいのに、なんて澪は思っていた。
(詩亜君って、思ったより両親思いのいい子なのかもしれないね)
それでも口は悪いけれど、と澪はププっと小さく笑った。
「あ?何?」
「ん?ううん。なんでもないよ」
澪は否定しながらまだ顔は笑っていた。だから詩亜が怪訝な顔をする。
「な、何だよ。気持ち悪いな」
「まあ、まあ、いいじゃない。あ、そうそう。詩亜君に鍵を渡しておかなくちゃね」
澪は話を変えるように立ち上がってリビングにある棚の中から一つの鍵を取り出した。それを見て再び聡史の顔が過ぎる。
(もう忘れなさい。すべて忘れなきゃ駄目)
別れるとき、澪は聡史からこの鍵を返されていた。どこを見ても聡史の記憶が蘇る。そんなすべてが澪はすごく嫌だった。これだと忘れたくても忘れられない。
「はい、詩亜君。これ渡しておくね」
「ああ、ありがとう」
前はキャラクターのキーホルダーが付いていた家のサブキー。でも今は何もついていない寂しいものだった。
「あと約束して。家にあるものを自由に使っていいけど、友達を連れてきたりはしてほしくないんだ。それでもいい?」
高校生くらいの学生にそんな制限するのは良くないかもしれなかったけれど、会社から帰ってきて知らない女の子や男の子がいるなんて澪は考えたくなかった。だから澪は詩亜にそういう条件を告げる。
詩亜がそれに嫌な反応をするかと澪は予想していたけど、彼はとてもそっけなかった。
「ああ。それは心配しないでいいよ。俺は家に誰か連れて来た事なんてないから」
「え?そ、そうなの?一度も?」
「ああ」
澪の学生時代といったら、友達の家に行ったり来てもらうのがすごく楽しかった。だから詩亜がそういうことはないと言った事にとても驚く。
(もしかして、詩亜君って大変な学生生活を過ごしているのかしら……)
そんな事を澪が真剣に考えていると、詩亜が小さく溜息をついた。
「お前、俺がいじめられていたとか思っているだろ?違う違う。ちゃんと理由があるんだからな」
「理由?」
「ああ。俺の周りには俺の名前目当てで近づいてくる奴がたくさんいてな、もちろんそうじゃない奴らもいるんだけど、変に気を使われるのは嫌なんだよ。だから誰も家には連れて行かないんだ」
「あ、なるほど……」
世界の御堂の人間と友達になりたいという人はたくさんいるだろう。それが子供が思っていなくてもきっと両親がそう子供に催促する可能性だってある。
「まあ、そういうわけだ」
そんな話を聞いていて、澪は自分が詩亜に言われたことを思い出していた。
「じゃあ私もそういう人間だと思っていたってことかな?」
澪はさらっと言ったつもりだったけれど、詩亜の顔色がすぐに変わった。そして詩亜は罰の悪そうな顔をしている。
「あ、ま、まあ。そうだな。ごめん、俺って嫌な奴だよな。たぶん、人間不信ってやつなんだよ」
詩亜が言った事、それは別に非があることでは決してない、と澪は思っていた。人間は偉い人に近づいて悪いことを考えてしまう生き物なのだから、と。
(詩亜君って不思議な子だなぁ。本当にお金持ちの息子なの?)
澪は詩亜の意外な一面が知れてすごく嬉かった。はじめはどうなるかと思っていたけど、彼となら上手くやっていけるような気がする。
「ううん。別に詩亜君が謝る必要はないよ。詩亜君みたいな環境で育つと、誰でもきっとそうなっちゃうだろうしね。詩亜君のいる世界って誰もが憧れる世界だけど、やっぱり私には無理そうだね。胃に穴があいちゃいそ」
「そうだな。お前みたいなお人よしはすぐつぶされるよ」
「あ、お人よしって、それはちょっと酷い」
「事実じゃんか。まあ、俺はお前を別に利用しようとかないから……っていってもこの家にいる自体利用してるってことか」
「そう、そうなのですよ、詩亜さん。まあ、私もあなたを利用しているみたいだけどね」
「ああ、そういうことだ」
そして二人は顔を見合わせて笑い出した。リビングに久しぶりに響く笑い声。澪はずっと冷たかった部屋が急に温かくなったような気がしていた。そしてそのまま、聡史の事がすべて消えてしまえばいいのに、と澪は思っていた。
このマンションにはリビングの他に部屋が二つある。その中の本棚だけが置いてある使ってない部屋を詩亜に使ってもらうことにした。幸い、澪はこの家に引っ越してきてお客用の布団を用意していた。だからこうした急な宿泊客にも対応出来る。
「しっかし、泊まりに来るのに何にも持ってきていないなんてありえないよ」
「ごめんごめん。本当に住まわせてくれるなんて確信がなかったもんでね」
詩亜は学校帰りに制服のままお泊り道具一つ持たずに澪のマンションに来たようで、それを澪はとても呆れていた。だから澪は自分の寝室にある小さなウォークインクローゼットから男物のジャージを出してきて詩亜に渡す。
「これつかって」
「お、さんきゅ。……って、なんでこんなんがお前の家にあんの?また彼氏のだったやつか?」
「ち、ちがうよ。私が着ようと思っていただけだよ」
嘘。それももちろん聡史用のものだった。しかし、使い古した物はもうこの家にはなくて、詩亜に貸したのは新品で使われなかったやつだった。
「ふーん、ま、いっか。ありがたく使わせてもらうよ」
「明日にはちゃんと自分のを持ってきてよ」
「言われなくても分かってるって。俺だってずっと制服で過ごしたくないからな」
そして詩亜はお風呂に入る為に浴室に向かっていった。その後ろ姿がなんとも楽しそうで、詩亜はお坊ちゃまじゃないのかな、と思うくらいだった。
* * *
詩亜は大きな浴槽のお湯に浸かりながら、今日の事を考えていた。
掃除の行き届いたクリーム色基調の浴室は、大きな鏡と高い天井があり、とても居心地のよい場所だった。浴槽に張っているお湯の温度が高いのか、あっという間に浴室いっぱいが湯気で真っ白になっていた。
(やっぱり澪は普通の女とは違うな)
彼氏の為に尽くし身を滅ぼす女。それは哀れかもしれないけど、詩亜はそんな澪を嫌いではなかった。
(しかし、本当に驚いたな。学校からこのマンションが近くて)
詩亜は母親に冬休みに学校に行かなければならない、だから学校の近くでマンションを借りたいと話した時、『そういえば、澪さんのマンションがあの近くにあるそうよ』と言ってきた事にとても驚いた。そしてすぐに今回の事を思いついた。それは本当にすぐに。
(兄の恋人の家に住む弟か、よくあの人が了解してくれたな)
それだけ澪は詩亜の母親に気に入られたということなのだろう。詩亜の案に母ははじめは少し戸惑っていたけれど、頼み込むと渋々了解してくれた事を詩亜は思い出していた。だから、詩亜は溜息を付きながら頭を壁につけるように上を向いた。
(母さんの大好きな武の恋人なら、俺となんか間違いなんて起こさない、ってことか……)
そう考えると、詩亜の胸がチクッと痛んだ。
詩亜は知っている。母親は武の事を誇りに思っていて、自分のことは普通の息子としか思っていないことが。それを別に羨ましいとかは思ってはいないし、こうして自由にさせてくれるのも感謝している。それでも時々寂しい気持ちになるのはなんだろう、詩亜はそう思っていた。
(でも今はあそこにいるわけじゃない。だから考えるのはやめよう)
詩亜は今は澪の場所にいる。それは想像していたよりも居心地の良い場所だった。
(でも何で、あいつは俺を家に入れてくれたんだろうな……)
一人暮らしの女性がこうして男性を家に入れる。それがたとえ本当に武と澪が付き合っていたとしてもすることだろうか、と詩亜は疑問に思っていた。
「……それだけアイツは、兄貴に会いたい、というわけか」
詩亜はそう呟いた。自分と繋がればいつか兄が出てくる。だから澪はまた武と出会う事が出来るだろう。そう澪が考えているのは明白だった。それは詩亜も十分分かっていて、澪を利用しようとしていたのに、詩亜はあまりいい気はしていなかった。
「あー、もうやめやめ!そんなのどうでもいいじゃんか。俺はただ、冬休みに学校に通うのが面倒なだけだよ。そうに決まっている。さ、洗お、洗お」
色々な事が頭の中に渦巻いていて、詩亜はまったく整理出来ないでいた。だから詩亜はもう考えるのを止める為に浴槽から勢い良く出て、まずは頭を洗う為にシャンプーに手を伸ばした。
* * *
「澪、明日、学校終わってから仕事があるから、帰りは十時くらいになるよ」
詩亜は寝る為に部屋に向かう前、澪にそう告げた。お風呂あがりで髪がまだ濡れている詩亜の姿はなんとも艶やかで、ただのジャージ姿だというのに、驚くほどの男前だった。きっとどんな女性が見てもその姿に惚れてしまうだろう。でもそれに早く慣れなきゃいけないと、澪は見とれないように一生懸命自分をコントロールしていた。
「そう。じゃあそれにあわせる位に夕食作っておくよ。何か食べたいのある?」
「お?明日も作ってくれるのか?」
「うん。せっかく家に誰かいるんだもん。料理くらいするよ」
「らっきー!俺、嫌いなもんないし、何でもいいよ」
「オッケー。じゃあなんか適当に作っておくね」
「了解。じゃあ、寝るよ。おやすみなー」
「うん、おやすみね」
そして詩亜は聡史と別れて以来使われてなかった携帯ゲーム機を片手に部屋に消えていった。
(おやすみ、か)
静かになったリビングで、澪はテレビをつけたままソファーにゆったりと座っていた。
(やっぱり人がいるっていいな)
もう時計は夜中の一時前だった。普段なら家にいてもテレビを見ることしかやることがなくてすぐに寝てしまっていた。しかし今日は詩亜と話していてこんな時間になっていて、心がすごく満たされているのを感じていた。
(詩亜君か。兄弟といっても武さんとは全然違う。なんだか不思議だなぁ)
初対面は最悪の印象だった詩亜。でもそれはまた御堂という名前を狙って女が来たと思ったからで、でもそれが違うと分かって彼はこうして自分に普通に接してくれた。
(でもなんでまた私に会いに来たんだろう……。そういえば言っていたな、私に興味がって……)
そう考えて澪は首を大きく横に振ってソファーから立ち上がった。
「違う違う。そうじゃないそうじゃない。私のマンションが学校に偶然近かっただけだよ。そうに決まってる」
それ以外は澪には考えられなかった。考えてはいけないと思っていた。
「……あ、は、はやくお風呂に入らなきゃ。明日も会社なんだから」
そして澪は急いで浴室に向かっていった。自分は何を考えているんだ、と思いながら。
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