誰がための小夜曲


第1部 始まりは別れの時から
【2】


 澪はある場所の前で武を待っていた。その場所とは澪の元彼がいつも利用していた飲み屋の近くの公園。駅から近い為カップル達が待ち合わせに使うのでもとても有名な場所だった。
(あんなすごい人にこんな所で待ち合わせをさせてしまったいいのかな)
 飲み屋といっても、どこにでもあるようなチェーン店で、武のような特別な人間が足を踏み入れる事は絶対にないような店で、澪は本当にこれでいいのかいまだに悩んでいた。
(それに私はあの人の両親に会わなければいけない)
 この交換条件を受けるかどうかは澪もだいぶ悩んだ。御堂武の親といえば、御堂株式会社を一代で築いた超がいくつついてもおかしくないくらいの大物。そんな人たちに嘘をついて恋人ですと出て行けるほど、澪の心臓は固くは出来てはいなかった。
(でも、なんで武さんは両親を騙すような事をするんだろう)
 澪はもちろんそれを武に尋ねた。しかし武は『別に悪い事をするわけじゃないんですよ』と言って本当の理由を話すのを拒んでいるようだった。だから澪もそれ以上は理由を聞くことは出来なかった。
 それでも澪は尽くした上に簡単に捨てられてしまった彼を見返しは見たかった。だからたくさん悩んだ末、澪はこの話を受ける事にした。
「あれ〜?そこにいんの、澪じゃね?」
(え?この声は……)
「ほんとだー。聡史っちの元カノじゃーん」
 澪は色々考えすぎていて周りの事が一切見えていなかった。だから目の前に元彼がいることに少しも気がつかなかった。もちろん、彼の隣にいる見たことのある女性の事も。ホスト風な元彼は今日も澪が買ってあげたお気に入りの黒のスーツを着ている。
「どったの?もしかして俺を待ってるとか〜?」
 澪は元彼が今日ここに来る事を友達に遠まわし遠まわしに聞きながら掴んでいた。それでもいきなりの彼らの登場に、澪は全身から冷や汗を流す。
「え〜?もしかして聡史っちに未練タラタラ?マジうざくね〜?」
 彼氏もバカなら彼女もバカっぽい。澪はそう考えていたけど、そうなるとそんな彼と付き合っていた自分もバカなのかもしれないと澪は何もかもが嫌になってきた。だから澪は彼らにこう答える。
「ち、違うよ。彼氏と待ち合わせしているの」
「へ?彼氏?お前、もう誰かと付き合ってるの?」
 驚いた顔をする元彼聡史。でもすぐにそれは疑いの目になった。
「それほんとか〜?お前なんかと付き合う男が他にいるわけ?ぜってー嘘じゃね?」
「う、嘘じゃないよ。ほんとなんだから」
 そういいながら澪は腕時計を盗み見る。待ち合わせの時間はとっくに過ぎているのに、まだ武は現れない。
(もしかして、私からかわれた?)
 夢のような不思議な話。澪はもしかしたらすべてが嘘だったのではないかと思うようになってきた。だから顔がだんだん心配で青くなっていく。
「ねぇ聡史っち。この人、私たちが羨ましくて嘘ついてるんじゃない〜?なんかすごい惨めだね〜」
 付けまつげと大げさなアイラインが目立ちすぎている聡史の今の彼女は、澪を見ながらニヤニヤとしていた。
(惨め?そうね、私は今、誰よりも惨めかも)
 元彼氏とその彼女の前で、来るはずもない人を待っている。それがどんなに惨めなのか、澪はその場で泣きそうになっていた。
「じゃあ、一緒に飲むか、澪?もちろん、お前のおごりでね〜。それってよくね?」
「よい!よい!それいいじゃん。私たちが慰めてあげるよー」
 バカにするのもいい加減にして。そんなことをするくらいなら、あなたたちに突っかかっていったほうがマシ。澪はそう思いながら、これ以上は耐えられないとここから去ろうとした。
「澪さん、ごめんなさい、お待たせしました」
 しかし、聞こえてくる神のような声。澪は目に涙をいっぱい溜めながらその声の方を向いた。するとそこには輝かしいばかりの容姿を持つ武が立っていた。周りで彼氏を待っているだろう女性達が、いきなり現れた美形の男性に何度もチラ見をしているのが分かる。
「た、武さん……」
 武ははじめは状況を飲み込めていないようだったけれど、澪の前に立つ一組のカップルを見て、すぐにそれが誰なのかが分かったようだった。だから武はすぐに澪の隣に立って彼女の腰に手を回した。
「ごめんなさい。急な仕事が入ってしまって。だいぶ待たせてしまったみたいですね」
 優しい笑顔は澪を慰める。そしてそれを見ていた聡史の顔が少しずつ変わり始めていた。隣に立っている聡史の今の彼女も、武の姿を見てあっけに取られているようだった。
「お、お前は誰だ?」
「僕ですか?僕は澪さんとお付き合いしているものです」
 そして武は、澪の腰に手を回していた手を彼女の手に移し変えていた。どこから見ても澪と武はカップルに見える。しかし、それを聡史が気に入らないという顔で見る。
「う、嘘だ。俺は先週までこいつと付き合っていたんだぞ。こいつにそんな早く新しい彼氏が出来るわけがない」
「それは僕が前から澪さんに交際を申し込んでいたからでしょう。でも彼女にはあなたがいた。しかし、先週あなたと別れたと聞いて僕は急いで澪さんに付き合って下さるようにたのみこんだんです。だから、あなたには感謝をしていますよ」
 武の言葉はもちろん全部嘘。別に打ち合わせをしたわけじゃないのに、武は嘘を堂々と聡史に言っていて、澪はあっけに取られていた。しかしそれを顔に出しては終わると、澪は必死に顔をつくる。
「だ、だから言ったでしょ?私は彼氏を待っていると」
「う、う……」
 聡史の悔しそうな顔。彼が自分に未練があるとは澪は思っていないけど、捨てられた彼のそんな顔を見るのは少し気持ちが良かった。
「あなたも新しい彼女がもういらっしゃるのですね。こんばんは」
 武は聡史の次に、彼の新しい彼女に向かって軽くお辞儀をした。それを見て聡史の今の彼女は急に女の顔になっていた。それはそうだろう。武を見てそういう顔にならない女性の方がおかしい。それだけ武は誰が見ても魅力のある男性だった。
「こ、こんばんは。は、はじめまして」
 今までバカっぽい話し方をしていた彼女。しかし、武の登場に言葉遣いまで変わってしまって澪はなんだかおかしかった。きっとこれが彼女の本来の話し方なのかもしれない。女は連れる男で性格まで変わってしまうのか、と澪は少し怖い気がしていた。
「では僕達はこれから食事に行きますので。良ければ今度はご一緒に飲みにでも行きましょう」
「は、はい!」
 そう答えたのは聡史の今の彼女だった。その返事に聡史はあっけに取られているようで澪はすごくいい気分がしていた。
 そして澪は武に手を引かれ、その場から離れていった。

「ありがとうございました!とても気持ちが良かったです」
 そこは澪が武とはじめて会ったバーの店内だった。今日も前と同じように薄暗い店内でクラシック音楽がBGMとして流れている。
「それは良かった。もうちょっと彼にダメージを与えようと思ったけれど、あれくらいがちょうど良かったかな」
「もうちょっとダメージって。他にどんな事をするつもりだったんですか」
「それは秘密」
「あはは。武さんって面白いですね」
 今日は前のように泥酔する事はないけれど、澪は出されたカクテルと少しずつ口にしていた。ほろ苦い酒の香りが全身に広がる。
「君の話を聞いて最低な男だなと思っていたけれど、本人も最低そうな男でしたね。あれは別れて正解だと思いますよ」
「はい、私もそう思います。でも付き合っている時はそれに気がつかないんですよ。恋は盲目ってやつですよね」
「じゃ、気づかせてくれた彼に感謝ですね」
「そうですね。それに武さんにもすごく感謝しています。本当にありがとうございます」
 とても清々しい気持ちの澪。この気持ちは武がいなかったらもちろん成立しなかった。あのあっけに取られた聡史の顔は、今思い出しても笑ってしまう。
「いえいえ。なかなかない体験だったので、すごく楽しかったですよ。僕って意外と鬼畜なのかと思いましたしね」
「き、鬼畜って」
 武は真面目そうだけど、たまにこうやっておかしい事を口にする。この人は本当はどんな人なんだろうと、澪は少しずつそう思い始めていた。
「じゃあ、次は澪さんの番ですね。今度の日曜日、空けておいてくださいね」
「あ、は、はい。でも、本当に私で良いのでしょうか?私はすごく平凡な女なのに……」
 澪は自分が大企業の社長に会えるような人間なんて少しも思っていない。それにこうやって武と肩を並べて座っている事さえ、ありえない事だって事は十分分かっていた。それでも武は澪に微笑む。
「大丈夫ですよ。それにあなたは僕がいう事に頷いていてくれればよいだけですから」
「は、はあ」
「では僕はまだ仕事がありますので、会社に戻ります。また連絡しますね」
「あ、はい。今日はありがとうございました」
「いえいえ。では」
 そして武は颯爽と店から出て行った。その様子を見ながら澪は私たちはなんて不思議な関係なんだろうと思っていた。
(でも、それも、武さんの用事が終わるまで、なんだよね)
 そう考えると少し残念なような気がしながら、澪は目の前のカクテルを一気に飲み干していた。

 その一週間は澪にとって落ち着かない日々だった。御堂の御曹司と嘘の契約をしているなんて誰かに言えるわけもなく、会社の同僚の美雪(みゆき)には今週はおかしいと言われながら一週間を過ごしていた。
「ねぇ、美雪。お見合いってどんな格好していくものなの?」
「え?澪、お見合いするの?」
 それは週末に近い日の昼休みの事だった。
「ま、まあ。私もお見合いの一回や二回くらいはね」
 小さな会社では社員食堂なんてあるわけもなく、澪と美雪はコンビニ弁当を会社の中の小さな会議室を借りて食べていた。他の社員はほとんどがおじさんやおばさんばかりだったので、皆、外に食事に出ていて、会社に残っているのは澪と美雪くらい。
「そっか。まあ、彼氏にフラれたあんたにはちょうどいいかもね」
 聡史つながりの友達には武のことがどこまで知れ渡ったかは分からなかったけれど、美雪は彼らとはどこも繋がっていないため、武の存在は一切知らない。だから澪は美雪に武の両親と会うことをお見合いとして話をする事にした。
「んー、そうだねぇ。着物っていうのもちょっとありきたりかな?私は普通の格好でもいいと思うけどね。堅苦しい場じゃないんでしょ?」
「う、うん。たぶんね」
 実際、武にメールをしたら美雪と同じような返事が返ってきた。『普通でいいですよ』と。
「あ、あれでいいんじゃない?先輩の結婚式に着ていったやつ。すごく似合っていたし、それにこんなことがないと着る機会ないじゃない。けっこう高かったんでしょ?」
「あー、そういえばそんなのもあったね。そっか、あれにするかな」
「うんうん。そっかー、澪がお見合いするのかー」
 弁当のハンバーグを口にしながら、美雪は澪のお見合いの話を感心するように頷いていた。美雪は澪と同期で、会社に入ってずっと仲が良かった。そんな彼女に嘘をついているのは少し心苦しかったけれど、すべてが終わるまでは何も言ってはいけないと澪はやはり話すことは出来なかった。
(ごめん、美雪。全部終わったら絶対に話すからね)
 そして澪も弁当の半分を占拠しているチーズが乗っているハンバーグをぱくっと口に入れていた。
「あ、そういえば、昨日テレビですごいカッコいい人見つけちゃったよ」
「あ、出た。美雪のイケメン情報」
 見合いの話が終わって、美雪は違う話を話し始めた。それは美雪が一番敏感な話だった。
「えへへ。だってやっぱりかっこいい男を見ると元気出るじゃない?目の保養って大事だと思うのよね」
「まあ、そうだよね。それで、どんな人見つけたの?」
「あ、うん、えっと、なんだっけ。メンズ雑誌で今一番注目株らしいんだけど、シアって人がテレビに出ていたの」
「シア?外人?」
「ううん。純粋な日本人なんだって。でも日本人と思えないくらい顔が綺麗なの」
「へぇ」
 驚くほど綺麗な人。それを聞いて澪は武を思い出していた。きっと美雪を武に会わせれば大変な事になってしまうだろう。そう考えると澪はすごくおかしかった。
「えっとね、テレビを写メで撮ったんだよね。ちょっとまってね、えっと、あ、これ、これ」
 美雪は自分のお気に入りの男性を見つけるたびに、携帯で写真を撮って澪に見せてくれていた。だからテレビ画面を撮影したと聞いてはじめは驚いたけど、今はそれが当たり前と思っていた。
「どれどれ。うわ、すごい綺麗な人」
 そこに写っていたのはビジュアルバンドにいるような女性っぽい綺麗な顔をした男性だった。鼻筋が通っていて顔の輪郭がとても美しい。まるで作り物のような顔に澪はとても驚いていた。
「でしょでしょ?これでまだ高校三年生っていうんだから、世の中恐ろしいわよねー」
「こ、高校生?み、見えないよー」
 これでまた一人、特別な人間を知ってしまい、やはり神様は不公平だと澪は思わずには言われなかった。そしてそれからすぐに、その『シア』に出会うなんて今の澪には想像することさえ出来なかった。



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